2011年4月16日土曜日

お姫様と奴隷はこうして出来上がる。

先日、ある店でこんな光景を見た。









3歳くらいの子どもが、お母さんに泣きながら









「お外行きたい!お外行きたい!」









と、甲高い声で叫んだ。









すると、そのお母さんがさぞ大変だ、という感じでその子どもに言った。









「あ〜ごめんね!!気づいてあげられなくて!」









と、慌てて店の外に連れ出した。









誰もが何も思わないであろう、この光景、、、









、、、僕には、その家族の未来と結末が見えた。









その子は、我慢や忍耐を知らないまま大人になっていくだろう。









その親は気づかないだろうが、我慢や忍耐は、学校や社会が教えてくれるものと思っている。









だが、そんなものは今の時代、誰も教えてはくれない。









親である『そのお母さん』こそが教えていかなければならないのだ。










しかし、その親は子どもに嫌われたくないという想いから、子どもを叱ることもできず、ただただ子どもの言う事を聞いてしまう。









それが、どんな恐ろしい事をしているのかに気づいていない大人たちが多過ぎる。









学校や社会が教えてくれると勝手に思い込んでいるかもしれないが、今は学校の教師たちは生徒を叱る事ができない社会。









それは、モンスターペアレントたちが怖いからだ。









モンスターペアレントとは、どんな人がそうなってしまうのか?









それは、さきほどのお母さんのような人が、モンスターペアレントになっていく。









それは、自分の子どもが叱れないバカな親は、自分の子どもが辛い想いをしたと聞くと、子どものためにと思い、学校側に文句を言う。









だって子どもに嫌われたくないんだから、、、。









子どもの為に!とばかりに、子どもを守る為に、と。









“私たちお母さんやお父さんはあなたの為に、あなたの前に立ちはだかる問題を取り除いてあげるんだよ!”









と言わんばかりに何の躊躇も無くそれをやってしまう。









果たして、それが子どもの為になるのだろうか?、、、









なる訳ない。









その場しのぎなだけだ。自分の為にそれをやってしまっているだけだ。









子どもに嫌われたくないだけ。









その子どもよりも長生きするのであれば、それでもいいかもしれない。









が、世の中には順番がある。









親は子どもより先に死ぬ。









残された子どもは、自立できているだろうか??









この先、誰が問題を取り除いてくれるのだろう?









我慢や忍耐を学んでないまま育ってしまった子どもは、どんな人間に成長していくか?









それは、一言で言うと『自分勝手な弱い人間』だ。









無菌室で育った植物に例えると分かりやすい。









無菌質状態で、雑草が生えればそれを駆除してくれる親が居る。









水が欲しければ、その都度水が与えられ、肥料が必要ならそれは待ちわびなくても肥料が与えられる。









お殿様状態、お姫様状態、である。









そんな殿様や、お姫様が、大人になると嫌でも無菌室から出る時がやってくる。









一歩出れば、そこは今まで自分が育った、『何でも自分の思い通りになる環境』ではない。









そのほとんどが、自分の思い通りにならない世界に足を踏み出すのだ。









それで、無菌室育ちのそのお姫様やお殿様はどうなるのか?、、、









考えなくても結果は容易に想像ができてしまう。









嫌な事があれば、すねるか、黙るか、泣くか、のどれかしか選択肢しかない。









だって、今までそうやってやってきたんだから、、、。









挙句の果てには、逃げるという選択肢を作り出しその場から逃げる、という道を選ぶ。









どこに行ってもそれは変わらないだろう。









自分の今までのやり方が通用しないんだ、という事を認識し、行動を変えなければ一生変わらない。









誰も変えてはくれない。自分でやるしかない。









しかし、これがどれだけ大変な事で、どれだけの苦痛を伴うか、、、。









僕自身が経験しています。どれだけ苦痛だったかは、僕の生い立ちや経緯を知っている周りの友達はよく知っています。









そうなる前に、早い段階でそれを覚えさせなければならない。









それが親の役目であり、子供たちに愛を持って育てる、という事だ。









愛を勘違いしている。









でも、こんな簡単な事に気づかない今の大人たち。









人間だけだ、親が子どもから子離れ出来ない生物は。









ラッコは産まれて半年位は母親とべったり生活して、母親が餌の獲り方や食べ方を教える。









母親はやがて、その子から突然消えて居なくなる。









子どもは半日くらい泣きながら母親を探すが、どこを探しても母親は居ない。









そのうち、母親が居なくなった子どものラッコ他達が出会い、一緒に餌を獲り生きて行く。









そして自立していく子どものラッコたち。









この習性がDNAに最初から組み込まれている。









ラッコ以外の動物たちも同じ様な仕組みが組み込まれている。(人間にも実は反抗期という形で、それが備わっているのだがその話は、超長くなるので割愛します。)









人間も元は動物だ。









いずれは親元を離れ自分で生きて行かなければいけない、、、。









では、いつ自立をさせるのか?









子どもの言いなりでは、自立のタイミングはなかなか分からない。









だったら、最初からやっておくしかない。









三つ子の魂百まで、と言うがそれは正しいのだ。










今のままでは、いずれ社会はどうなって行くか、と言うと、間違い無く自殺者は増え続けて行くだろう。









今の倍?それとも3倍?、、、。









ここでも何度も書いているけど、バクテリアでの実験。









二つのグループに分けたバクテリアを、ひとつのグループにはバクテリアにとって最悪の環境で育てる。









もう一方のバクテリアグループは、快適な環境で育てる。









そしてバクテリアでの成長の結果の違いは、と言うと、、、。









最悪の環境で育ったバクテリアの方が、大きさが倍に育ち、しかも丈夫で強くなる。









最適な環境で育ったバクテリアは、と言うと死滅してしまったり、とても弱くて小さなバクテリアにしか育たなかったのだ。









バクテリアで、そういう実験結果が出た、という事は、人間は確実にそれに当てはまると言う事が理解できる。









それは、人間はバクテリアの集合体で出来ていると言っても過言ではないのだから、、、。









人は自分に甘えれば甘えるだけ、人生はよりハードになる。









子どもを本気で愛するならば、その一瞬だけの状況を見るのではなく、









『自分が子どもにしようとしているその行動は、将来のその子どもの人格形成のどの部分になるかな?』









と考えながら育てて行かなければ、いずれは確実に子どもに嫌われて呪われる。









大袈裟な話ではない。僕が実際そうだったから。









今日書いた、その親子も、このままでは将来確実に『その母親』は子どもの奴隷になっていくだろうし、その後、









『こんな私に育てたのはお母さんだ!(お父さんも)』と、










子どもが責任を親に押し付ける時期が必ずやってきて、荒ましい反抗期を迎え、運が悪ければ金属バットか包丁かで殺される、、、かもしれない。









間違い無く、親子の問題は相当数増えていく。









しかも人と人との関係が気薄になっている現代、そういう悩みを打ち明けられる友達や隣人も居ない。









自分だけが悩み疲れていき、最悪の結果になるケースも増えていくだろう。









まさか自分だけは大丈夫、と思っている人に限って、この問題点に気づかず見えていない。(僕の周りにも大勢います。)









これは、最初が肝心だ。









子どもがある程度大きくなってから厳しくする、という人が居るけれど、最初出来なければそれは、なかなかできない。









子どもからしたら「今さらなんだ!!ここまで思い通りにしてきたのに!!今さら何言ってるんだ!!」









と、なる。そりゃなるわな。









そこで、親が強気に出れるか?と言うと、まずできない。









出来るなら、最初からやってるもん。









可愛いから、愛しているから、と思って何でも子どもの思い通りにして来たつもりでも、それは実は愛ではく、自分が子どもに嫌われたくないという『自己愛』である。










子どもの将来を考えれば、今のうちに厳しくしておかないと、確実に弱くなり苦労する人生が待っているだけなのだ。









人は、顔色を見て生活していると、その人の(この場合は子ども)奴隷になってしまうのだ。









奴隷になってしまう。










という事は、やがて殿様やお姫様は奴隷たちに無理難題を言い出すし、それが出来なければ嫌われてしまう。









だって、今までそれを叶えてくれていたのだから。









『叶えてくれていた』とすら感じていないだろう。









物心ついた時からそれが当たり前の中で育っているのだから、それは









『普通の事』としてしか思っていない。









何かと比べて初めてその違いに気づき、それが異質な事なのかどうかが分かるはずだ。









『ゆとり教育』が良い例だ。









何も分からない子どもに最初から『ゆとり教育』をしても、それ自体が何と比べて『ゆとり』なのかが分からない。









それはゆとりでもなく『普通』の事として覚えてしまうだけ。









厳しい環境で育っていて、初めて『ゆとり』という事を









“あぁ、今までよりも余裕があるな、これが『ゆとり』というものなんだ”









と理解できる。










だから逆に、最初から厳しく育てていた場合は、『ゆとり』というものを教えなければ、ずっとそれがその子どもにとっては、厳しいとすら感じずに、それが『普通』だとしか思わない。









何かと比べてしか分からないし、気づかない。比較対象物が必要だ。










是非ともこの事を家族で話し合ってほしい。









これは、本気で子どもの将来を考えてしている『愛』から始まっている行為なのか?









それとも今だけ自分たちが嫌われないが為の『なんちゃって愛』なのか、という事を。









客観的に自分たちを見られる力を意識しなければ、なかなかできません。









俯瞰して見て下さい、虫の目ではいけません。









鳥の目になって見て下さい。









今だけを見るのではなく、将来をみるのです。









今は、どこに立っているのかを、俯瞰して上から見なければ気づきません。









ナスカの地上絵と同じです。上から見ましょう上から。
















、、、さぁ、今から小学校2年生になった子どもが欲しがってた携帯電話を買ってやろう♡









だって、、、嫌われたくないんだもん♡、、、







、、、と、このように、人には言えるが自分では気づけない親たちが大勢居るのである。









その事を知ってもらう為に、僕はあえてしているのだ、、、。




あえて、である、、、。あえて、携帯電話を買い与えるのだ、、、。




、、、これって愛なのか?、、、違う。




嫌われたくないからだ、、、エヘヘ♡






文章、長過ぎてごめんね♡







考えてみましょう、子どもが我慢や忍耐を学ぶ機会を奪っていないかどうか、、、。







『小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり』(だいぜんは、しょうぜんににたり、だいあく、はひじょうに、にたり。)







という言葉の、それをしていかねばならないのではないのでしょうか?






嫌われ役を親が買って出ないで、誰がするんですか?親が嫌われる道を選ばなければ子どもは間違い無く、例外なく苦労して悩みの多い名ばかりの大人になりますよ。






常連のお客さんとは、うちや店で、こういう話をみんなで集まってよくしています。

2011年3月26日土曜日

一匹の蚊が与える影響


先日、“目から鱗”に気づかせてくれた出来事があった。









東京のスーパーで買い占めが問題になっているというニュースを見ていた時の事だった。









一人の17歳くらいの金髪の不良っぽい少年がインタビューを受けていた。








「いい歳の大人が、こんな時に買い占めするなんて残念です。僕たち東京はまだまだ普通に生活出来ているんだから、一人一人が少し我慢するだけで、被災地の人達に食物が行き渡ると思う。」








と、見た目とのアンバランスな予想外の答えが返って来たので思わず手を止めて見てしまった。








その少年は、さらに続けた。








「自衛隊基地に物資を持っていけば、被災地に届けてくれると聞いたので僕も買いに来たんです。」








と、カメラがその少年の持っていた買い物かごにアングルを替えた。









すると、500のペットボトルが3本と、お菓子とカップ麺が少々入っているだけの買い物カゴが映し出された、、、








それを見た僕は、









『少な!、、、たったこれだけか。』









と、一瞬思った。、、、とっさに、そう思ってしまった。









でも、すぐに頭の中で視点が切り替わった。









『これだ、、、。これが今必要な事だ!!』








一人一人が、たったこれだけの事をするだけで、どれだけ多くの被災地の人が救われるんだろう、、、という事に気づかせてくれた。








たったこれだけしか無い、と思って寄付するのをためらってしまう事って無いだろうか?








でも、考えてみれば、これがなんと愚かで思い込みに偏った考えだという事がすぐに分かる。









『お腹が空いた。』と思った時の事を考えてみると、答えがすぐに見つかる。









ペットボトル1本と、カップ麺とお菓子が一袋もあれば、半日は十分にしのげるはずだ、という事を容易に想像がつく。








この少年は、そういう簡単な事をしっかりと理解できている素晴らしいものの見方をしていると思うと我に返る。







数百人、数千人、数万人の当面の食事を支援するなんて個人には到底無理な話だ。








だったら、一人一人が、ある被災地の、ある家族の、ある一人分の、ある時間帯だけだけの、たった1回分の食べ物を支援する、という役割を担当するつもりなら、何も難しく考える必要なんて無い。







もし、僕が総理大臣だったらこうする、、、








被災地にある避難所の数をすべて公表し、規模の大きさでエリア分けをして、担当制にする。








例えばこうだ。








1000人単位で生活している避難所には、財力のある企業やタレントを担当にして、その人達が義援金を募って、避難者たちを期間限定で支援していく。








その避難所以外の事は何も考えず、一点集中で担当するのだ。








例えば、1000人が避難している仙台のどこかの小学校だったら、倖田來未ちゃんと浜崎あゆみちゃんが担当して、そのファンたちから集まった義援金をその避難所にだけ集中的に支援し続ける。







他にも、矢沢永吉やミスチルやユーミン、福山雅治などのアーチストやタレントが、それぞれの担当避難所を受け持ち、そのファンたちから義援金や支援物資を責任を持って集めて配って行く。







そうすれば、どこでどう使われるのか分からないという不信や不透明感も消えて、見える化に繋がっていく。








規模が小さければ、一個人の人達をひとつのグループにして担当していく。期間限定で、だ。








自立を促しながらでないと、どちらもモチベーションが上がって行かないだろうから期間限定で支援する。








そこで学ぶ事も多いはずだ。







支援する側の家族に子供が居れば、母性やボランティア精神、優しさ、慈悲、愛、などを学ぶ事もできるはずだ。








支援される側の家族に子供が居れば、感謝、物のありがたみ、繋がり、愛、恩返し、などを学ぶ事ができるかもしれない。







学校や社会で学んで行く事よりも早い段階で道徳心を学ぶ可能性がある。






たった一人では無力で、何も出来ないと思っているのなら、一匹の蚊をはなって一晩寝るとよく分かる。







1匹の蚊に、どれだけ悩まされるか。








我々は蚊ではなく人間だ。








生物界で一番優れた頭脳を持ち、理性や知恵があるのだ。










微力かもしれないが無力ではないのだ。









少ししか無いから支援できないなんて、思っては今後数年間はかかる復興はより困難になってしまうだろう。









政治家たちは、温室育ちのおぼっちゃまばかりの集団だ。









問題は現場で起こっているのだ。理屈ばかりではダメだ。








かなりの数のヘリコプター所有国のはずなのに、なぜヘリコプターで物資を一気に運ばないのかが最初から疑問に思ってならない。








さっきの話なら、担当の避難所に2機か3機くらいずつのヘリコプターを割り当ててもまだまだ余るはずなのに、、、。









しかし残念な事に、我々が選んでしまった政治家を今責めても仕方ない。








一人一人が、少しだけの事を数年間は続けられるような事をしていかなければ、風化してしまい、テレビで別の事件や話題の露出が増えると間違い無く忘れ去られてしまう。









僕たちも、歩幅は狭いけど、できる事をしていこうという話になりました。









このステッカーを、1枚500円で販売し、すべての金額を日本赤十字社に全額寄付するというものです。






友達からの呼びかけに、即一緒にやる事にしました。




こちらです。↓










1枚¥500


230枚分の出力代¥5000を引いた全売り上げ¥110000を完売後日本赤十字社に寄付することを約束いたします。

支援団体なども数々ありますが。義援金から手数料を引かれてしまうなど条件が異なるので、私達の判断で全ての金額を寄付できる日本赤十字社に決めました。完売後にまた230枚製作し寄付とゆうかたちで長期的に寄付できる事を目標に頑張っていきたいと思います!!今現在の協力店は


ハイアーズサーフ(瀬戸)

http://ameblo.jp/highers/entry-10838218387.html




GREED PRODUCTION (名古屋)

http://ameblo.jp/gpgp-gpgp/entry-10844342668.html



CANDy BLOOD(豊田)

http://www.kawa-ii.jp/




3店舗です。


協力店舗が増えましたら随時お知らせします。


1枚でもご協力して頂ける方や、店舗クルー、チーム、会社などありましたら 連絡お願いいたします。


each other = 支えあい




僕と関わりがなくても、こういう時にこそ一緒に力を合わせて、協力してくれる方が居れば本当に力強いです。


是非、何かしたいけど何をどうすればいいか分からない、という方が居れば力を貸して下さい。


もちろん、1枚だけを購入してくれても大歓迎です。すべて責任を持って日本赤十字社に全額寄付していきます。


いっしょにこのステッカーを販売してくれる会社やお店などの方はさらに助かります。是非協力して下さい。こちらまでご連絡下さい↓よろしくお願い致します。




、、、あ、ユーモアの無いブログになってしまった、、。





次こそは。

2011年3月20日日曜日

過酷な中のユーモアの重要性

恐怖とは、知らない事から発生しているとも言える。








1の恐怖を100や1000にしてしまう犯人は無知なのではないだろうか?








無駄な恐怖や不安に打ち勝つには、知識や正しい情報が早いと思っている。








パニックは、自分の許容範囲を超えた時に起こるのも同じ事が言えると思う。








今回の宮城県三陸沖地震では、色々な情報が飛び交っている。









日本政府の出す放射線濃度の数値がバラバラで信用ができないと外国政府をはじめとする日本国民からも不信感が強まっている。









先日も書いたように、知識を身につけて依存心を無くし、自らの判断に責任を持つ事が一番良いと思う。









『誰のせいにもしない人』として、最大の成長の機会と捉えていける人であろうと決意するといい。









そして、何度も書いているが一人一人が今できる事をしていく事で、世界は良くなり変わる可能性が出て来る。









一度壊れたものは、治らないのではなく、治れば強いのだ。









骨折と同じである。









しかし、それには正しい処方が大切であり、この処方こそが









『一人一人にできる善意ある小さな事の積み重ね』だと思う。









「知恵がある奴は知恵を出し、力がある奴は力を出し、金がある奴は金を出そう。」









『自分は何にも出せないよ









っていう人は元気を出せ。











まさにここで何度も書いている、エネルゲイアの境地だと思います。









人間は、









「誰かから必要とされた時、人は生きることを選択する」










これはアウシュビッツの悪夢を経験し、フランクルが導いた、ひとつの真理。









「生きてたらいいことあるって」と、いくら説得しても、死にたい人は、死ぬことをやめない。









でも、










「私にはあなたが必要で、世界もあなたを必要としている」









ということを伝えると、みな死ぬことをやめるのだ。










そして、このフランクルの書いた本、『夜と霧』を11年程前読んだ中で印象に残っている箇所がいくつかある。










特に印象に残っている事は、、、










人間は、過酷過ぎる状況の中で、生き残る人と、死んでしまう人の境い目は何か?









それは、ユーモアだという事がアウシュビッツ体験の現場で分かった事だという。









最後まで生き残った人の共通点は、ユーモアのある人。










ユーモアの無い人は、次々に過酷な状況の中を生き残る事ができずに死んでいったという、、、。










今こそ笑いが大切だ。










不謹慎だと言われても、次から僕は笑いを解禁させる。










それが今の僕にできる事のひとつ。


2011年3月17日木曜日

日本人という誇り

昨日書いたように、やはり出ましたね。








アメリカ政府、80キロ圏内退避勧告。






ロシアは、18日をめどに日本からロシア外交官のその家族を一時退避勧告。






アメリカよりも、やはりロシアの動きを見れば、今の現状が分かる。







一度痛い目に遭った国は、その時学んだ教訓があるので、早め早めの行動に出るはずだ。







日本から出ろというロシア、、、。







何が起こっているんだろう?日本のニュースでは、安心だ安全だ、と言うけどそれはまだ、痛い目に遭っていないからだと思うし、パニックを防ぐためでもあるかと思う。








もし僕がトップなら、国民を安心させたいと思うから当たり前の事だとも思う。








被曝は、被爆とは質が違うし今すぐどうのこうのではないとは思うが、10年後、20年後の日本にがん患者の数が増えている可能性は低くはないのではないだろうか?








でも、それを踏まえて我々の国に本を、命をかけて守ろうとしている偉大なる東電の大人たちが居る事も忘れてはいない。








誰かが逃げれば、誰かがそれをやらなければならないのだ。








もう知っている人だらけだとは思うけど、これを読んで我々日本人が、日本人として産まれて良かった、と誇りに思う瞬間を今一度味わい、新しいアイデンティティーの構築に多いに役立ててもらいたい。







これを見て、心揺さぶられない人と僕は友達になることは一生涯ないだろう。







日本は日本人全員で必ず復興させる。

2011年3月14日月曜日

一人一人ができる事


大地震が起きて3日経ちました。



バカなブログを書いている僕ですが、6年ほど前から5つの団体に寄付金をしています。



そして今回の大地震。僕に出来る事は何か?



と考えている時、常連のお客様から



「被災地へ、毛布やクッションを送る手配をしたから協力してくれない?」



との連絡がありました。



これだ!今すぐ僕たちに出来る事だ。と思い、もちろん協力すると返事を返しました。



少ないけど、倉庫からとりあえずクッション類を店に持ってきて今日の夕方に託します。



人には必ずやれる何かがあります。



それを決断し、やることで世界をより良くする事、そのための関与をすることを、



「エネルゲイア」と言うそうです。



「善というのはエネルゲイアのことである。」



と、古代ギリシャの哲学者アリストテレスが断言しています。



僕には僕にしかできない事があり、僕には今すべき事があります。



それは僕に限らず、人間誰しも、その人にしかできない事があって、今すべき事があるはずです。



その判断を正しく決断し、行動する事こそが世界をより良くする事へと繋がっていきます。



海外から救助隊や支援物資が日本へと届いていますが、これもまたエネルゲイアです。



世界が今ギクシャクしているけど、国単位で物事を考えるのではなく、個人個人、人間同士としての基準で自分が世間に出来る事は何か?



と考える事ができれば、急速に劇的に世界は変わっていく事が可能なはずです。



まずは、個人レベルで



「自分には何ができるのか?」を正しく考えて、それを行動に移す事だと僕は思っています。



特に日本人は、世界に誇れる『道徳心』が宿っています。



今回も被災地で、食べ物を人に譲り合う光景が世界の人達の心を強く揺れ動かしていると言います。



こういう事をキッカケにして、これを無駄で終わらせず世界中の人々のアイデンティティーを新しく塗り替えるようなお手本を我々日本人が、こういう時だからこそ行動で示していければと思います。



ココから学び、変わる事ができれば将来とてつもなく大きな教訓として変わったキッカケとして、語り継がれ多くの犠牲者達の死が無駄にならずに済むのだと思います。



戦後、急速に復興した奇跡の国、日本と呼ばれている我々日本人だからこそできる、世界に誇れる底力があると思います。

2011年3月12日土曜日

俺を振って、別の男に行った女

昔、一人の女を好きになった。








俺が何とか守り、一緒になりたいとずっとずっと思っていた。








そんな想いは日に日に強くなり、俺は自分の感情を抑えきれなくなっていった、、、。








『俺なら、あいつを幸せにしてやれるのに、、、どこに行くにも一緒、何をするにも一緒で、きっと楽しいぞ。』








俺はあいつの髪が好きだった。








長くてサラサラでツヤのある髪だった。








あいつの笑顔も大好きだった。








あいつが俺を見て微笑む時、俺はいつも心でこう言っていた、、、








『好きだよ。』








あいつはずっと俺の想いに気付かなかった。








『振り向いてくれよ、、、』









俺は切ない胸の想いを歌にした。









『♬あいつの笑った顔が好きさイェイ!あいつの髪が大好きさイェイ!いつか俺の女になるんだぜぇ〜えっほっほぉ〜やっとっとぉ〜ほらどっこいさ〜、、、』








すらりと延びた長い手足も大好きで、その手足を俺の身体に巻き付けて欲しいと願った。








嫌がるあいつを無理矢理倒して、あいつの胸に顔をうずめるんだ、、、









本当は嫌がってなんかいないって知ってるんだ、、、








あいつの唇を奪ってもあいつはきっとニッコリ笑うはず、、、








でもそれができない、男のプライドが邪魔をした。








男の中の男で売って来た俺が、そんな事はできる訳がなかった。










あいつを想うと、何も手に付かなくなった、、、うがいも手洗いさえも、、、









重症だった。









でも、俺はあいつを俺のものにしようと、あいつに思い切って言ったんだ、、、


































「先生好き。」




「ありがとう〜!先生もヒロシ君の事大好きだよ〜!」







幼稚園の先生だった、、、。








、、、俺、5才。そろそろ寒くなる頃の話♡









おませさん、とよく言われていたころの話である。







先生はその年、俺以外の別の男と結婚した、、、。









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