2009年8月31日月曜日

感動の24時間テレビ

24時間テレビを見た。



盲目のスイマーの遠泳リレーは、去年は断念したので、そのリベンジで再びコースをかえてトライした、、、。



『目の見えない女の子が遠泳するなんて凄い、、、俺なんてもっと頑張れるのに、、、目標があるのに自分の甘えで逃げてしまう、、、情けない。』



目が見えなくて泳ぐって凄い事だ。泳ぐ事だけで人は勇気が沸き感動するに違いない。




そういう事をも考えてしまい、泳げるようになるまでの裏に隠れた苦労を思うとさらに感動した。



思わず涙があふれた瞬間は、去年の断念した時のシーンで本人の立木早絵ちゃんが、こう言った所だった、、、



「たくさんの方のお陰で、こんなに素晴らしい貴重な経験ができました。ありがとうございます!」



と、涙ながらに言ったその一言だった。




『おぉ、、、なんて本質の分かっている子なんだ、、、』



と、涙があふれた。



普通は、こういう時には「ゴールができなくて残念でしたが、みなさんに感謝しています。」という類いの事を言いがちであるはずなのに、この主人公は違った。



「たくさんの方のお陰で、こんなに素晴らしい貴重な経験ができました。ありがとうございます!」



である。



“こんな貴重な経験ができた”、という所だ。




前向きで、しかも奥が深い。



『ゴールする事』



が目的ではなくて、自分の今後の人生で糧になるであろう




『挑戦するという事』




に焦点を絞っての挑戦だった、という意味を含んだ発言で、しかも番組の意向にブレていない“個”の発言だ。参加したのではなく挑戦したのだ。




もちろんゴールする事は、最終的な『目標』だったはずだが、この子にとって本当の『目的』は、




『チャレンジする事』



のはずだ。



チャレンジする目標地点がゴールとしている目印なだけで、この子にとってはゴールする事は目標ではあっても目的ではなかったはずだ。



だから、ゴールができなくて悔しいという類いのコメントではなく、貴重な個人的な私の目的のために多くの人の支えで経験出来た事に、ありがとうございました、と言っているのだ。




ゴール出来なくてごめんなさい、ではない。もちろんゴールできなかった事は悔しいに決まってる。だからこそ泣きながらコメントしていたはずだ。



でも、そこがこの挑戦の本質ではない事をしっかりとこの本人が理解している事を含んだ発言だという所に、思わず感動して涙があふれたのだ。




この若い盲目の女の子は、今までで目が見えないからこそ本質を見極める力が自ずと付いている事が、俺は個人的に素晴らしいと思ったのだ。




目が見えないのに、こんなに成長して!という親心に近い涙だった。





「私の知らないうちにこんなに成長して、、、」的な。




そして、この子がなぜこの目的を達成したいと思ったのかと言えば、



『遠泳したことで、未来の自分が何かに行く手を阻まれた時や、弱気になった時、このチャレンジした体験を思い出し、自分のさらなる力にするため』



とか、



『今後の人生で親元を離れて今以上に大変でつらい現実を迎えうつための準備という意味あいや、もしかしたらその“大変でつらい”、という事自体を、この大きな事を成し遂げた事で軽減、あわよくば消滅を狙って。』



か、



『この挑戦をテレビで見て、「目の見えない子が泳いでる、、、私何やってるの!?」と勇気と元気を出してもらえたらいいな、』




というような事を思っての挑戦だったはずである。




今年は無事にゴールできたので良かった。見てる方は、やっぱりゴールさせてあげたい。本人もこれでモヤモヤも消えて、気持ちよく終われたに違いない。




感動した。




人は、困難を恐れず立ち向かう姿に感動する。





でも、感動したと同時にこの子に比べて俺なんか、、、、と、自分に嫌気がさした。



俺には男の中の男になるための目標も目的もあるのに挑戦することすら恐れているのだ、、、、






俺の目的と目標、、、、それは、、、























おっぱいパブに行く事が目的で、
目標がおっぱいを触る事。




これが分かっているのに行けないままである、、、情けない。




人は、困難を恐れず立ち向かう姿に感動する。




怯えてなんていられない!!!人に感動してもらうために俺はおっぱいパブに行く!!




ん?これを書く事自体が情けないのか??




あぁ、、、おっぱいパブの方から俺に来てくれないかな、、、。




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