一番最近読んだ本。
一歩を超える勇気、という本。
読み初めて3ページたたない時に田中に言った、、、
「この本、もしかしたら俺が読んで来た本の中で一番良い本の気がする。」
「なんでそう思うの?」
「この文章の書き方のセンスと、核心を知っている人にしか書けないニュアンスの書き方。それにユーモアもセンスが良い。」
俺は、毎日必ず本を読む。
場所は、風呂の中と寝る前の布団の中の2カ所。
2冊同時読みもするし、多い時には3冊を同時に読み進めて行く。
そして良い本は、3回4回5回と深く読み、その都度自分の心に響いたり感じたりする文章を心に刻み、自分がまるで経験したかのようなレベルまでもっていく。
だから、毎月新しい本を読む数は決して多くはない。
3冊から5冊とかそのくらいだろう。
でも、1冊の本を確実に読み込むので誰よりも頭に入っていると思う。
これは、すべての事に当てはまる。
料理でも新しい料理を作る時には、必ず同じ味に成るまで、2週間毎日作り続ける。毎日である。たまに、ではなく毎日でないと、その料理の本質を知る事はできない。
これだけ何度も同じ本を読むのだから、俺は
『ストーリー』
としても、
『この本の本質は何か?』
としても本の内容を覚えているので忘れないし、尚かつ自分の心を濾過(ろか)し、自分の考え方を練り込んで、持論を含めて話す事もできる、、、と思う。
それは、映画でも同じ事をする。作者の意図を自分なりの仮説を立てて読み解き、奥にある本質を自分なりに感じ取る。
話は反れたが、この本“一歩を超える勇気”、、、この本は凄い。
俺はこの本を一気に読んだ、、、。
この臨場感、、、。まるで一緒に登山しているかのような気分になり、ドキドキする。
『ここは、エベレストか?、、、、あ、よかった、、、ココは俺のいつものベッドの上だ。』
この本は、登山の話と登山に至るまでの地上での話が書かれている。
登山を全く知らないに等しい俺が読んでも、まったく関係なく読める良書。
勇気とは何か?感動とはどんな事なのか?を、この作者、栗城という青年が身体を使って教えてくれるのだ、、、。
しかも、死と完全に隣り合わせの世界で、たった独りの無酸素登山というかたちで、、、。
死ぬ可能性が最も高いスポーツだという人もいるくらい、死がとても近い身近な世界である。
命を粗末にしている、という人もいるけど、その逆だ、、、と本の中で書いているけど、まったくその通りだと思う。
俺にも、死と隣り合わせの経験があるが、それは『死』を通してしか見えない『生』が初めて見えて来る、というものもある。
不安があるから安心にも初めて気づける的な、、、。
俺の元にも、今も多くの人が訪れる。
その理由は、俺がバリ島家具屋を独りきりで何も知らずにオープンし、10年間やり続けている事や、やり始めたときのモチベーションや不安について。
中でも多いのが、不安をどう乗り越えるのか?と、モチベーションの維持方法。
そして、夢が何なのか分からない人や、行動に移せない人が、どうしたら行動に移して行けるのか?のアドバイスを求めて来る、、、。
俺は、毎回そんな人に確実に勇気を持たせ、自分でも出来るんだ!という気にさせる事ができる。
でも、、、、でも、、、、
この本を読んだら、俺のして来た事って、なんて小さな何でもない事だったんだ、、、
と、本気で恥ずかしいという気になった。
俺がここに来る人に対して、
「もっと頑張れるはずじゃない?、、、こういう時のやり方はさぁ、、、」
的な事を言っていた俺自身が、なんて小さい人間だったんだ、、、
と、感じた。
人はなぜ、こういう感動や勇気の出る本や、俺の所にも俺のする話を求めてくるのか?
それは、、、
人間は自分にもそういう事をする事が出来るんだ!という事を潜在的に知っているからだと思うのだ。
そうじゃなけりゃ、何で好き好んでそれを本や、映画や、それを成し遂げた人に求めるのだろう、、、
人は、行動する為に出来ている。この身体は、そうやって出来ているではないか。
関節があって、筋肉がある。考える為の最高のコンピューターの脳も持っている。
それを使わずに、いかに楽をして生きて行くか?なんて考えている人は、必ずいつか壁にぶつかる。
身体的にも、精神的にも。
人は、休み続けると、錆び付いてダメになる。
好きな事、自分のやりたいと思える事をやって、身体や精神がダメに成る事なんて無いのだ。
その証拠に、宇宙飛行士は宇宙に滞在して帰ってくると、地上では立って歩く事ができない。
そのため、今では宇宙飛行中でも筋トレーニングを必ずする時間が設けられている。
と、いう事は、人は動く為にできているのだ。
それを自分が作った壁に怯えて一歩を踏み出す事ができないだけなのだ。
この本を読めば、それだけで
『自分はなんて甘えているんだ、、、』
と必ず思うはずだ。
いかに、何でも無い事で悩んでいるかを知る為にも読んでみて欲しい。
この作者と対談したい。
俺も、山登りをする!!
、、、、、オッパイという名のエベレストに、、、
俺の定義する『おっぱいという名のエベレスト』の高さは、、、
Eカップ。
頂上の一歩手前までは車で行き、頂上のEカップは自分の足で登るんだ、、、
※車とは、俺の『手』と定義しております。
自分の足とは『口』と定義しています。
エベレストを、提供してくれる若くて可愛い子、居ません、、、、、よね?
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