2010年7月31日土曜日

ある一定の情報量を超えた時、、、







最近、もの作り一色。



過去キャンディがテレビに出た時に入った200個の注文の時以来、いやそれ以上のハイペースで携帯ケース以外の新しい商品を200個以上作る。



期限は8月2日。



ここ最近はipadケースを8種類作り終えたので、次は財布つくり。



今日も一日ひたすら財布つくりだったが、なかなか良いモノが出来上がっている。



さいふは10種類のノルマが課せられている。



で、このひたすらもの作りをして気づいた事が大きいのだ。



とにかく朝早くから夜遅くまで作り続けていると、今まで気づかなかった事に、気づくようになった。



たくさんあるが、ミシンの微妙な調整方法は、このもの作りをひたすらやらないと気づく事は無かった。



思い込みが解除されたのだが、その気づく瞬間は、ほんの一瞬の出来事からヒントを得た。



他にもとても重宝する貴重な気づきにありつけた。



これまでの蓄積が無ければ気づけない事柄ばかりだが、今まではこの蓄積の量が中途半端だったので、その中途半端な蓄積だけだと、そこまでの蓄積で判断し結果的に間違った思い込みや固定観念が勝手に身についてしまうのだ。




それは仕方ない事で、ある一定の情報量が蓄積されないと、次の段階の気づきには絶対にありつけない。




例えるならば、赤ちゃんが言葉を覚えていく過程に似ている。




まずは言葉を知らないので親の言葉をひたすら聞いて、言葉をインプットし続けて行く。




そして、途中段階で片言の言葉を話し始める。





パパやママ、ブーブ、マンマ、、、など。





でも、その時には、赤ちゃんには必要な過程のはずだ。





いきなり正確に話ができるはずがない。そういう段階が必要だ。




その時、赤ちゃんはそれが間違っているとは思わないどころか、それが全てだと思い込んでいる。




あぁ、間違ってるなとか、難しいから話すのやめよう、とは考えていないはずだ。知っているすべてをそこで出し切っているのだから。




そして、段々言葉の情報が増えていくと、正確さが修正されながら少しずつ改善されていく。




話せる言葉の数も必然的に増えていく、、、。




これと同じ感じだ。




人間は、ある一定の情報量を超えた時、飛躍が起きる。




その飛躍がモノ作りを通して起こった、という訳だ。




って、事は、、、
















おっぱいパブに通い詰めて、おっぱいをひたすら触っていた場合、どんな飛躍が待ち受けているのだろう、、、。




実践してみたいので、誰か連れてって下さい。

勇気がなかなか出ないので。



iPadから送信

0 件のコメント:

コメントを投稿