2011年4月16日土曜日

お姫様と奴隷はこうして出来上がる。

先日、ある店でこんな光景を見た。









3歳くらいの子どもが、お母さんに泣きながら









「お外行きたい!お外行きたい!」









と、甲高い声で叫んだ。









すると、そのお母さんがさぞ大変だ、という感じでその子どもに言った。









「あ〜ごめんね!!気づいてあげられなくて!」









と、慌てて店の外に連れ出した。









誰もが何も思わないであろう、この光景、、、









、、、僕には、その家族の未来と結末が見えた。









その子は、我慢や忍耐を知らないまま大人になっていくだろう。









その親は気づかないだろうが、我慢や忍耐は、学校や社会が教えてくれるものと思っている。









だが、そんなものは今の時代、誰も教えてはくれない。









親である『そのお母さん』こそが教えていかなければならないのだ。










しかし、その親は子どもに嫌われたくないという想いから、子どもを叱ることもできず、ただただ子どもの言う事を聞いてしまう。









それが、どんな恐ろしい事をしているのかに気づいていない大人たちが多過ぎる。









学校や社会が教えてくれると勝手に思い込んでいるかもしれないが、今は学校の教師たちは生徒を叱る事ができない社会。









それは、モンスターペアレントたちが怖いからだ。









モンスターペアレントとは、どんな人がそうなってしまうのか?









それは、さきほどのお母さんのような人が、モンスターペアレントになっていく。









それは、自分の子どもが叱れないバカな親は、自分の子どもが辛い想いをしたと聞くと、子どものためにと思い、学校側に文句を言う。









だって子どもに嫌われたくないんだから、、、。









子どもの為に!とばかりに、子どもを守る為に、と。









“私たちお母さんやお父さんはあなたの為に、あなたの前に立ちはだかる問題を取り除いてあげるんだよ!”









と言わんばかりに何の躊躇も無くそれをやってしまう。









果たして、それが子どもの為になるのだろうか?、、、









なる訳ない。









その場しのぎなだけだ。自分の為にそれをやってしまっているだけだ。









子どもに嫌われたくないだけ。









その子どもよりも長生きするのであれば、それでもいいかもしれない。









が、世の中には順番がある。









親は子どもより先に死ぬ。









残された子どもは、自立できているだろうか??









この先、誰が問題を取り除いてくれるのだろう?









我慢や忍耐を学んでないまま育ってしまった子どもは、どんな人間に成長していくか?









それは、一言で言うと『自分勝手な弱い人間』だ。









無菌室で育った植物に例えると分かりやすい。









無菌質状態で、雑草が生えればそれを駆除してくれる親が居る。









水が欲しければ、その都度水が与えられ、肥料が必要ならそれは待ちわびなくても肥料が与えられる。









お殿様状態、お姫様状態、である。









そんな殿様や、お姫様が、大人になると嫌でも無菌室から出る時がやってくる。









一歩出れば、そこは今まで自分が育った、『何でも自分の思い通りになる環境』ではない。









そのほとんどが、自分の思い通りにならない世界に足を踏み出すのだ。









それで、無菌室育ちのそのお姫様やお殿様はどうなるのか?、、、









考えなくても結果は容易に想像ができてしまう。









嫌な事があれば、すねるか、黙るか、泣くか、のどれかしか選択肢しかない。









だって、今までそうやってやってきたんだから、、、。









挙句の果てには、逃げるという選択肢を作り出しその場から逃げる、という道を選ぶ。









どこに行ってもそれは変わらないだろう。









自分の今までのやり方が通用しないんだ、という事を認識し、行動を変えなければ一生変わらない。









誰も変えてはくれない。自分でやるしかない。









しかし、これがどれだけ大変な事で、どれだけの苦痛を伴うか、、、。









僕自身が経験しています。どれだけ苦痛だったかは、僕の生い立ちや経緯を知っている周りの友達はよく知っています。









そうなる前に、早い段階でそれを覚えさせなければならない。









それが親の役目であり、子供たちに愛を持って育てる、という事だ。









愛を勘違いしている。









でも、こんな簡単な事に気づかない今の大人たち。









人間だけだ、親が子どもから子離れ出来ない生物は。









ラッコは産まれて半年位は母親とべったり生活して、母親が餌の獲り方や食べ方を教える。









母親はやがて、その子から突然消えて居なくなる。









子どもは半日くらい泣きながら母親を探すが、どこを探しても母親は居ない。









そのうち、母親が居なくなった子どものラッコ他達が出会い、一緒に餌を獲り生きて行く。









そして自立していく子どものラッコたち。









この習性がDNAに最初から組み込まれている。









ラッコ以外の動物たちも同じ様な仕組みが組み込まれている。(人間にも実は反抗期という形で、それが備わっているのだがその話は、超長くなるので割愛します。)









人間も元は動物だ。









いずれは親元を離れ自分で生きて行かなければいけない、、、。









では、いつ自立をさせるのか?









子どもの言いなりでは、自立のタイミングはなかなか分からない。









だったら、最初からやっておくしかない。









三つ子の魂百まで、と言うがそれは正しいのだ。










今のままでは、いずれ社会はどうなって行くか、と言うと、間違い無く自殺者は増え続けて行くだろう。









今の倍?それとも3倍?、、、。









ここでも何度も書いているけど、バクテリアでの実験。









二つのグループに分けたバクテリアを、ひとつのグループにはバクテリアにとって最悪の環境で育てる。









もう一方のバクテリアグループは、快適な環境で育てる。









そしてバクテリアでの成長の結果の違いは、と言うと、、、。









最悪の環境で育ったバクテリアの方が、大きさが倍に育ち、しかも丈夫で強くなる。









最適な環境で育ったバクテリアは、と言うと死滅してしまったり、とても弱くて小さなバクテリアにしか育たなかったのだ。









バクテリアで、そういう実験結果が出た、という事は、人間は確実にそれに当てはまると言う事が理解できる。









それは、人間はバクテリアの集合体で出来ていると言っても過言ではないのだから、、、。









人は自分に甘えれば甘えるだけ、人生はよりハードになる。









子どもを本気で愛するならば、その一瞬だけの状況を見るのではなく、









『自分が子どもにしようとしているその行動は、将来のその子どもの人格形成のどの部分になるかな?』









と考えながら育てて行かなければ、いずれは確実に子どもに嫌われて呪われる。









大袈裟な話ではない。僕が実際そうだったから。









今日書いた、その親子も、このままでは将来確実に『その母親』は子どもの奴隷になっていくだろうし、その後、









『こんな私に育てたのはお母さんだ!(お父さんも)』と、










子どもが責任を親に押し付ける時期が必ずやってきて、荒ましい反抗期を迎え、運が悪ければ金属バットか包丁かで殺される、、、かもしれない。









間違い無く、親子の問題は相当数増えていく。









しかも人と人との関係が気薄になっている現代、そういう悩みを打ち明けられる友達や隣人も居ない。









自分だけが悩み疲れていき、最悪の結果になるケースも増えていくだろう。









まさか自分だけは大丈夫、と思っている人に限って、この問題点に気づかず見えていない。(僕の周りにも大勢います。)









これは、最初が肝心だ。









子どもがある程度大きくなってから厳しくする、という人が居るけれど、最初出来なければそれは、なかなかできない。









子どもからしたら「今さらなんだ!!ここまで思い通りにしてきたのに!!今さら何言ってるんだ!!」









と、なる。そりゃなるわな。









そこで、親が強気に出れるか?と言うと、まずできない。









出来るなら、最初からやってるもん。









可愛いから、愛しているから、と思って何でも子どもの思い通りにして来たつもりでも、それは実は愛ではく、自分が子どもに嫌われたくないという『自己愛』である。










子どもの将来を考えれば、今のうちに厳しくしておかないと、確実に弱くなり苦労する人生が待っているだけなのだ。









人は、顔色を見て生活していると、その人の(この場合は子ども)奴隷になってしまうのだ。









奴隷になってしまう。










という事は、やがて殿様やお姫様は奴隷たちに無理難題を言い出すし、それが出来なければ嫌われてしまう。









だって、今までそれを叶えてくれていたのだから。









『叶えてくれていた』とすら感じていないだろう。









物心ついた時からそれが当たり前の中で育っているのだから、それは









『普通の事』としてしか思っていない。









何かと比べて初めてその違いに気づき、それが異質な事なのかどうかが分かるはずだ。









『ゆとり教育』が良い例だ。









何も分からない子どもに最初から『ゆとり教育』をしても、それ自体が何と比べて『ゆとり』なのかが分からない。









それはゆとりでもなく『普通』の事として覚えてしまうだけ。









厳しい環境で育っていて、初めて『ゆとり』という事を









“あぁ、今までよりも余裕があるな、これが『ゆとり』というものなんだ”









と理解できる。










だから逆に、最初から厳しく育てていた場合は、『ゆとり』というものを教えなければ、ずっとそれがその子どもにとっては、厳しいとすら感じずに、それが『普通』だとしか思わない。









何かと比べてしか分からないし、気づかない。比較対象物が必要だ。










是非ともこの事を家族で話し合ってほしい。









これは、本気で子どもの将来を考えてしている『愛』から始まっている行為なのか?









それとも今だけ自分たちが嫌われないが為の『なんちゃって愛』なのか、という事を。









客観的に自分たちを見られる力を意識しなければ、なかなかできません。









俯瞰して見て下さい、虫の目ではいけません。









鳥の目になって見て下さい。









今だけを見るのではなく、将来をみるのです。









今は、どこに立っているのかを、俯瞰して上から見なければ気づきません。









ナスカの地上絵と同じです。上から見ましょう上から。
















、、、さぁ、今から小学校2年生になった子どもが欲しがってた携帯電話を買ってやろう♡









だって、、、嫌われたくないんだもん♡、、、







、、、と、このように、人には言えるが自分では気づけない親たちが大勢居るのである。









その事を知ってもらう為に、僕はあえてしているのだ、、、。




あえて、である、、、。あえて、携帯電話を買い与えるのだ、、、。




、、、これって愛なのか?、、、違う。




嫌われたくないからだ、、、エヘヘ♡






文章、長過ぎてごめんね♡







考えてみましょう、子どもが我慢や忍耐を学ぶ機会を奪っていないかどうか、、、。







『小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり』(だいぜんは、しょうぜんににたり、だいあく、はひじょうに、にたり。)







という言葉の、それをしていかねばならないのではないのでしょうか?






嫌われ役を親が買って出ないで、誰がするんですか?親が嫌われる道を選ばなければ子どもは間違い無く、例外なく苦労して悩みの多い名ばかりの大人になりますよ。






常連のお客さんとは、うちや店で、こういう話をみんなで集まってよくしています。