2010年3月12日金曜日

泣く事の大切さ



昨年、元奥さんのお父さんが急死した、という連絡が入り、お通夜に駆けつけた。





すでに、うちの父親が素早い対応で、俺の名前で花が出されていた。






俺を発見すると、






「あぁ!!パパだぁ〜〜!!」






と、元気に掛けよるひなたに、事情を知るたくさんの人が痛々しい眼差しで、その姿を見守っていた、、、。





元奥さんとは、離婚後初めての再会。






長い歳月が味方についたのか、お通夜に駆けつけたのが、功を奏したのか、






元奥さんはとてもウエルカムな状態だった。






元奥さんは、元モデル。なので、ひなたも痩せていて顔が小さく背が大きい、、、






背だけは大きいがまだまだ子供。






元奥さんは、実のお父さんの急死にも関わらず、笑顔と泣き顔とが交差しながらも多くの人に対応していた。






心筋梗塞で急死してしまった、その瞬間を発見したのが、






『ひなた』だったという話を聞いて、俺は心配していた。





まだ、当時6才のひなた。





しかも、お爺ちゃん大好きっ子で一緒に暮らしていただけに、ショックは相当大きいはずだ。






ひなたに、色々聞いてみた。






「ジジちゃん死んじゃったね、、、。ねぇ、ひなたがジジちゃん倒れたの見つけたの?」





「うん、そうだよ。バタン!って音がしたから見に行ったらジジちゃんが、ウぅぅ〜って言ってたから、急いでママ呼んで人工呼吸やったんだよママ。そして救急車の中でもず〜っとやってたよ、人工呼吸。」





「ほんとぉ、大変だったね。」







そして、一番の俺が聞きたかった核心に迫った。







「ひなた、ジジちゃんが死んじゃって悲しいでしょ。ひなた、泣いた?」






すると、ひなたは言う、、、






「少しだけね。、、、ねぇねぇパパぁ〜、遊ぼうよ〜」






話を逸らそうとする、、、しかも無理して、元気ぶってるのが分かる。







うちの両親も来ていたので、その事を言うと鈍感なのか、






「そう?まだ小さいから分かってないんじゃないの?」






と、すっとぼけた返答にガッカリだ、、、。






『こんな人の気持ちが分からない親に育てられたから苦労したんだよな、、、』






元奥さんに話を聞いてみた。






核心は、“泣いたか泣かなかったか”、、、である。







すると、思っていた返事が返ってきた。







「あの子、すぐに元気ぶる癖があるから、、、。隠れて泣いてた。泣き顔を見せないように、声を殺して泣いてた。」





これだ、、、。






これは、とてもいけないサインである。





こんな小さいうちから大人の顔色を伺って、自分は平気だよ、というところを見せようとする。





子供は、大人に頼って生きる存在。





それを、こんな歳で自立しなくては!という想いが強いと、大人になってから潰れてしまう。







こんな小さい時期の感情は貯めてはいけない。流さないと、蓄積してしまう。








上手に吐ききれず、やがて爆発するか心に大きなトラウマとなって焦げ付いてしまう。







人の死に、大きな動揺をしてしまうようになってしまいやすい、、、。







俺の小さいときと、まったく一緒の症状だ。






これは、早く気づかせて、泣かせてやらないと、と思い、その後ひなたと会う度会う度、ひなたに言って聞かせている、、、






「ひなたぁ、パパと約束して。」






「約束??、、、なぁに?」






「ひなたは、まだ子供だよ。だから、今のうちは泣きたいって思ったら、思い切り泣いていいんだよ。いい?泣くの恥ずかしいって思うんでしょ?ママにそう言われたの?」







「、、、うん。いつも泣いちゃダメ、って言われてる。」







これは、日頃の些細な事で、泣いてはダメだと言っているにすぎない、、、。甘えるな、という教えがそこにはある。






でも、今回の場合は違う。泣くべき状況である、、、。






泣いてはダメ=どんな時にも泣いてはいけない、と間違ってインプットしているのである。







「ママはママ一人でひなたを強く育てなきゃ、って思ってるからそうやって言っちゃったけど、ひなたは泣いていいんだからね。思い切り泣いていいからね、約束だよ。」






「、、、わかった。」






「ママに、泣いたらダメでしょって怒られたら、パパが泣いてもいいって言ったもん!って言うんだよ。いい?」






「、、、うん。」






こんな約束を、あの日から会う度会う度してきたそんなある日、、、






ひなたにわざと危ない所を歩かせて、案の定転んだ。






痛さのあまり、ひなたが泣くシチュエーションが到来した、、、






『よし!来た、、、さぁ、泣けよ、、、』






と、思ってひなたを見ていると、、、







、、、声を殺して泣いている。






「ひなた、思い切り泣いていいよ。泣いていいってパパ言ったじゃんか。」






俺は、すかさずそう言ってひなたを泣かせようとした、、、






それでも、顔は涙でビショビショだけど、声は絶対に出そうとしない。







俺は、そんな子供らしからぬ姿を見たくない、、、







何とか、声を出させて泣かそうと試みる、、、






わざと、ちょっかいを出して、くすぐってみたが、ますます声を堪える、、、







そして、そのうちひなたは笑ってしまい、泣き笑いになって一緒に笑った。






でも、本当は泣いてもらいたい、、、。





娘の思い切り泣く姿が見たいなんて、、、悲しい。






思い切り、泣かせる事が俺の当面の使命だと思っている。






本気で泣けてこそ、本気で笑えるのだ。






思い切り生きた人が、思い切り死ねる、というのと同じだと思う。






人は、『自分はもう大人』だと思う時がある。でも、決まってそんな時は、まだまだ子供。







親から見て、『うちの子は、まだまだ子供だ』と思っている程、子供でもない、、、。






じゃあ、いつ大人に成ったという証があるのか、、、





それは、、、






『自分は、まだまだ子供だな』







そう、思った時が、







『大人に成長したサイン』である気がする。







ひなたは、完全に今自分はもう大人の仲間入りをしている気になっているのだ。






今度また愛のムチで泣かせてみよう、、、心で泣くのはパパの方で十分だ。



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