2009年9月28日月曜日

悪は誰だ。

電車の中でのこんなストーリーがあった、、、、とする。




今風のちょっと悪そうな風貌の若者が、電車に乗りこんでくるなりドカッと座席に座り携帯電話で話し始める。




しかも、声が大きい。




周りの目など、まったく気にしないその若者に対して他の乗客達は全員イラだっていた。




そのまま電車は走り出し、次の駅で数人が乗って来て車両はほぼ満員。




それでも彼は電話を切らない。まったく周りの事など気にしていないようだった。




それを見ていた乗客の中の何人かがその彼に注意しようかどうか張りつめた緊張感が漂っていた。




そして、そのまま次の駅に着いた、、、。




その駅で一人の杖をついた、おばあちゃんが乗車してきた。





そのおばあちゃんは、満員なので立ったまま手すりに掴まった。




それまで、携帯で大声で話す若者を訝しげに睨んでいた乗客達はなぜか目を瞑ってしまった。




寝たフリをし始めたのだ。



次の瞬間、携帯電話で話す若者が、何の躊躇も無くそのおばあちゃんに席を譲った。



「どうぞ、ここ座って下さい。」



彼に対する印象が変わったのではないだろうか?




“悪” だと思っていた若者が “善” に変わったのではないだろうか?




“善” だと思われていた彼以外の人は、おばあちゃんが入って来た瞬間に、席を譲る事をしなかった。




『疲れてるから勘弁してくれよ。誰かが席を譲ればいいのに、、、』





と、思ったのかも知れない。




結局、席を譲ったのは携帯で話し続けていた若者だった。




他の乗客達はそのあと、どう感じ何を思ったのだろう?




きっと、結構長い時間自分自身について内省し始めたのではないだろうか?




“悪” だと思っていた人に対して心の中で批判したのに、実はその “悪” だと思っていた人は実は “善” で本当の悪は実は自分なの?と思えてしまうような事が目の前で起きてしまった、、、。




こういう事は、なぜ起こるのでしょう?




偶然でしょうか?



たまたま起こったただの出来事なのでしょうか?




私、足立は違うと思います。必然だと思います。




こういう事で神様は人間に成長するチャンスをくれているのだと思い始めてもう13年経ちます。



こういう事があって、自分を見つめて他人を裁く前に自分は正しいのか?を考えさせてくれる機会を与えてるれているのだと思います。



さて、あなたは人を否定したり批判したりできる人間でしょうか?



終わり。



今日は真面目なブログだから、クリック数が期待できるんじゃない??、、、調子に乗りました、、、。↓













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