2011年3月20日日曜日

過酷な中のユーモアの重要性

恐怖とは、知らない事から発生しているとも言える。








1の恐怖を100や1000にしてしまう犯人は無知なのではないだろうか?








無駄な恐怖や不安に打ち勝つには、知識や正しい情報が早いと思っている。








パニックは、自分の許容範囲を超えた時に起こるのも同じ事が言えると思う。








今回の宮城県三陸沖地震では、色々な情報が飛び交っている。









日本政府の出す放射線濃度の数値がバラバラで信用ができないと外国政府をはじめとする日本国民からも不信感が強まっている。









先日も書いたように、知識を身につけて依存心を無くし、自らの判断に責任を持つ事が一番良いと思う。









『誰のせいにもしない人』として、最大の成長の機会と捉えていける人であろうと決意するといい。









そして、何度も書いているが一人一人が今できる事をしていく事で、世界は良くなり変わる可能性が出て来る。









一度壊れたものは、治らないのではなく、治れば強いのだ。









骨折と同じである。









しかし、それには正しい処方が大切であり、この処方こそが









『一人一人にできる善意ある小さな事の積み重ね』だと思う。









「知恵がある奴は知恵を出し、力がある奴は力を出し、金がある奴は金を出そう。」









『自分は何にも出せないよ









っていう人は元気を出せ。











まさにここで何度も書いている、エネルゲイアの境地だと思います。









人間は、









「誰かから必要とされた時、人は生きることを選択する」










これはアウシュビッツの悪夢を経験し、フランクルが導いた、ひとつの真理。









「生きてたらいいことあるって」と、いくら説得しても、死にたい人は、死ぬことをやめない。









でも、










「私にはあなたが必要で、世界もあなたを必要としている」









ということを伝えると、みな死ぬことをやめるのだ。










そして、このフランクルの書いた本、『夜と霧』を11年程前読んだ中で印象に残っている箇所がいくつかある。










特に印象に残っている事は、、、










人間は、過酷過ぎる状況の中で、生き残る人と、死んでしまう人の境い目は何か?









それは、ユーモアだという事がアウシュビッツ体験の現場で分かった事だという。









最後まで生き残った人の共通点は、ユーモアのある人。










ユーモアの無い人は、次々に過酷な状況の中を生き残る事ができずに死んでいったという、、、。










今こそ笑いが大切だ。










不謹慎だと言われても、次から僕は笑いを解禁させる。










それが今の僕にできる事のひとつ。


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