最近の実験報告は、と言うと。
以前から、気になっていた事がある。
その気になっていた事に仮説を立て、その仮説が正しいかどうかを確かめてみようと実験が始まった、、、。
「だ、大丈夫なんですか!?この実験。命知らずですねやっぱり、、、」
「万が一、の事があれば、頼み事をしたいんだけどいいかな?」
「ま、万が一!?、、、な、何でも言って下さいよ!」
「もしも、俺が戻る事が、、、無事に帰ってくる事ができなかった場合、、、」
「な、なんですか!?言って下さいよ!」
「あ、あぁ、、、臆病風が吹いちまったぜ。情けないな俺は、、、」
「そんな事ないですよ!足立さんは、いつでも素敵過ぎる所を除けば、素晴らし過ぎる人ですよ!!」
「ありがとうな。頼み事ってのは、、、俺が戻る事ができなかったら、、、おっぱいパブに行ってEカップのお椀型、色白でサーモンピンクのお乳首ちゃんを持ったガールにお願いして、谷間に俺の写真を挟んでスリスリ、もみもみしてくれるよう、頼んじゃってよ。」
「、、、、、あぁ、はぃ。」
「びっくりしたか?大き過ぎる話で悪かったな。いくらなんでもデカ過ぎる話だもんな。」
と、いうやり取りを心の中で終わらせた俺は、いざ実験を開始した、、、。
その実験を始めたのは、ちょうど1ヶ月ほど前。
その実験とは、、、
毎日通う、ジムで走り終わった後、シャワーを浴びるのだが、そのシャワーの温度が40度。
そして、最後に水のシャワーを2〜3分浴びる。
それで、気になっていたのが、
この水を浴びる時に、毎回『冷たい!!』と思っていたのだが、もし、これを冷たい!と思わずに、浴び続けた場合、どうなるか、、、
と、いう実験だ。
つまらない?
いいもんだ。俺は、ここから学ぶんだも〜んだ。
この実験を、ひたすら1ヶ月やり続けた。
その結果。
「冷たい!」と思う場合と、
意識して「冷たい!」
と、あえて思わない場合では、何がどう違って、さらにそれをやる事で何が起こり、何を学ぶ事ができたのか、、、
まずは、冷たい!と意識して思わないようにする時、と言うのは、意識を投げ出さず、冷たい水が俺の体を流れるその状況を、感情に走らず客観的に、見つめる。
ただただ見つめる。
この時、水が体にかかった瞬間に、感情的に、反射的に反応してしまうと、「あぁー!冷たい!冷たい!」となって、体が反応してしまい、ずっと冷たいという感覚に飲み込まれる。
でも、水が体を伝う時、冷たい!と思うのではなく、『水温が15度の水が、体を流れて行っている。』という主観を入れず、客観視した事実だけを見ようとする時、境界線が消える。と、言うか境界線が現れないのだ。
どういう事かと言うと、冷たい!と思った瞬間、人は冷たい!という主観に囚われてしまい、体が硬直し、抵抗し始めて体がブルブルと震えだす。
でも、客観視した主観ではなく、事実だけに意識を向けると、同じ水の温度なのに現実がただただ現実として体に、水というものが流れ落ちて行く感覚だけが感じられる。
冷たい、という表現方法ではなくなるのだ。
冷たい、と言う時点でそれは主観であり、決め付けであり、その時点で境界線が生まれてしまう。
境界線が良いとか悪いの問題ではなく、体と心が、感情先行で反応して反射的に動く事をいつもは無意識にしてしまうのを、意識的にどう人は無意識として動いていっているのか、という事を知りたかったのだ。
これは、座禅や正座をした時に、足が痛くてシビレ出した時、それに反応してしまい、『痛い!足が痺れた!』と足を崩してしまう時の状態と同じだ。
でも、この時に、足が今痺れだして、痛くなってきたぞ、、、。と痛みとジビレを客観的に反応的にではなく、意識的に見て行く事で、感情的に反応してしまう自分をコントロールできて、精神修行になるという話。
客観視できるようになれば、無意識の状態に入らずに感情的にならず、冷静な対応ができるようになっていくだろう、という仮説を実験を通して確認したのだ。
おれで、おっぱいパブに行った暁には、
「あ、君はEカップだね♡」
「あ、君はDカップだね♡」
「おぉ〜!君はFカップのお椀型じゃないか!!ウホウホ!!えへへ、、、顔挟んで挟んで!」
「あ、君Aじゃないか、、、あっち行って。」
と、いう具合に冷静沈着ぶりを発揮できて、素敵な人ね♡
と言われる日も近い、という壮大で、夢とロマンのある話にまで繋がって行くのだ、、、
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