違うはずだ。
ふと、そんな事を考えた。
いつもお腹いっぱいの、満腹な人が食に関心があるのだろうか?の問いと同じ問いかけだ。
絶対に“死なない、”という前提なら、人は“生きる事”に対して関心が有るはずがない。
と、いう事はココに大きなヒントが隠されてはいないだろうか?
なぜ人は不安を感じるのか?
という問いもまた同じ方向へと思考を進める問いかけにあたるはずだ。
なぜ不安を感じるのか?、、、
不安の先には、究極の先には死がある。
死を感じる事によって、初めて“生”を実感させてはくれないだろうか?
死なない人は、行動的になる必要がない。
だって、死なないんだから必死になる必要性がまったくないもんね。
と、いう事は、、、
不安や、困難は、人が生きる為に必要な刺激であり、必要なストレスではないだろうか。
何もする事が無い南国に住む人は40歳ほどで死んでしまうという話を先日聞いた。
人は、動くために関節のある体を与えられているのと同じで、生きるために不安という良いストレスを与えられているのではないだろうか、、、。
だって、ちょうどいいストレスなんだもん。
超えられないストレスではなく、必ず超えられるストレスが毎回待っているのは、そのせいではないだろうか?
ま、本当はこのストレスを、自分で設定しているんだけどね。
おっぱいに顔を埋めて、
「あ、窒息しそう!窒息しそう!」、、、っていうストレスを自分で用意したいんだけど、どこで受理されるか知ってる方、教えてくれませんか?↓、、、市役所でいいのかな?
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