2011年1月8日土曜日

頼らぬ男

26歳の、ある夏の午後1時の事だった。






初のパニック発作に見舞われた僕は、その後3年半友達も去り孤独の人生を歩んだ。






その後、何度も発作に見舞われ、






『なぜ生きているのか?』





『なぜ産まれて来たのか?』





孤独の中、何度も自問を繰り返して自分が誕生してきた事を心底呪った。





それでも、なぜ生きるのかという意味を『自分なりに無理矢理』にでも見つけながらでないと、生きる事自体が辛かった。






毎晩見る悪夢の果てに、微かな虫の息で朝を迎えると







『畜生、まだ生きてる。』と本気で思ったものだった。






眠ったまま息絶える事を心から願った毎日だった、、、。







死ぬ事も恐怖、生きる事も恐怖の日々の中、この病が治るなら何にでもすがろうと想い、神社を見つければ片っ端からお守りを買った。







薬にだけは依存する事を恐れて、処方された精神安定剤や抑うつ剤は飲まずに捨てたので、すがる矛先は買い集めたお守りと、奇跡が起こる事を信じる気持ちの二つだけだった。







お守りは、7個か8個持っていた。







水晶の数珠のブレスレットも手首にはめて、わずかな拠り所を手に入れた。






しかしある日の事だった、、、







その水晶の数珠が切れてしまったのだった。








慌てふためき、完全に動揺してまた発作を起こした。







発作の中、思った、、、







『何やってるんだ、、、こんな物に頼っているからいつまで経っても地獄から抜け出せないんだ、、、』






そして、それをキッカケに、お守りを手放し、新しい数珠も手に入れる事もやめて、自分だけを頼りにした。







占いや、お祈りといった類いの神頼み的な事すべてを俺の中から排除した。







全てを覚悟した。







死と引き換えに、その後の人生を覚悟した瞬間だった。







そしてその後、自発的に生きる事をしていき、それまでの3年半の地獄の日々にピリオドが打たれた。







厄よけ、お祈り、神頼み、占い、縁起、方位、風水、、、







すべては、弱い人間のすがる拠り所として用意された架空のものだと心底思って、覚悟をした時に、すべての事から超越し新しいステージへと1歩進んでいくのだ。







2011年、俺はこの生き方を貫く覚悟は出来ている!!





























今日、厄年のお祓いに行って来たよ♡
お守り二つ買ったよ♡





これで安心だね♡







だって怖いんだもん♡






エヘヘ♡






死ねばいいのに、と思った人はスイッチポン↓





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