2010年8月27日金曜日

子供に気を使う親と、子供の結末

ダウンタウンのまっちゃんが描いた、チキンライスをたまたま聞いた。




途中から、聞くが聴くに変わった、、、




昨日のブログとここまでは同じ運びだ、、、




歌詞の中に、俺が日頃から心配している歌詞を見つけた、、、




♪子供の頃たまに家族で外食、いつも頼んでいたのはチキンライス♫




♪豪華なものを頼めば二度と連れて来てはもらえないような気がして♬




♫親に気を使っていたあんな気持ち、今の子供に理解できるかな?♫




、、、この歌詞の中の、




『親に気を使っていたあんな気持ち、今の子供に理解できるかな、、、』




この部分。




本当に、この気持ち今の子供に理解できるのだろうか?




今の子供の大半は、家の中で親が子の顔色を伺い、殿様やお姫様のような扱いを受けている。




この事の重大な怖さをまったく分かっていない親達が多過ぎる、、、




多過ぎるどころか、まったく分かっていないと言ってもいいくらいだ。




何でも子供達の思い通りになる、甘いぬるま湯の中で育てるという事がどんな将来になるのか、、、




子供達がやがて大きくなり、何かしらの挫折をした時に、その困難という名の壁を巨大に感じてしまうのだ。




そりゃそうだ。




それまで、親が何でもやってくれたのだから、自分で超えようとする概念が育っていないから当たり前のクラッカーである。




自分の思い通りにならない事を、しっかり教えておかなければ子供は将来、確実に苦しい人生が待っている。




思い通りの甘い生活をする、という事は幸せの前借りをしているのと同じ事だ。




本当に子供を愛するのなら、出来るだけ早い段階で、自分で困難を乗り越える癖を付けさせなければいけない。




愛を、勘違いしているのだ。




本当の意味での優しさとは、厳しさの中にあるのだ。




優しくする事が愛だと勘違いしているのだ。




今、その時だけの事しか考えていないのだ。




もっと言うなら、その時の自分が子供に嫌われたくない、ただそれだけだと言ってもいい。




時間軸で考えなければならないのに、今しか見えていないのだ。




恐ろしい事に、出来ていない親達が、自分たちは出来ていると思っている、、、。




そういう親たちは、子供に必ず恨まれる日が来るだろう。




無人島で、腹を空かせている人に、魚を与えているのとまったく同じ事をしているのだ。




これに気付かなければ、悲惨な結果にしかならないだろう。




魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えてあげなければいけないのだ。




エサを与えてばかり居ては、エサを一生与え続けなければそれは無責任だというものなのだ。




それに気付いて欲しいものだ。




エサではなく、釣り方を教えてあげなくては子供は、いつその釣り方を覚えるのでしょうか?




大きくなるにつれて、今さら何で覚えなければならないんだ!?と、怒りだしますよ必ず。




だったら、もっと早く教えろよ!




と、なるのがオチです。




なぜなら、あなたが何でも与えてしまって、思い通りになると思い込んでいるからです。




そうやって、あなた自身が育ててしまったのですよ。




必ず、弱々しい大人達が増える一方です。




断言します。




草食男子が溢れ、責任逃ればかりする大人達がこれからの日本を背負って行けるでしょうか?




無理です。




俺は、自分でやる!!


















おっぱいパブに連れてって、とは言いません、、、




たぶん、、、、




きっと、、、、




そうなればいいな、、、




やっぱ、一回だけ誰か連れてって、、、




おっぱいから寄って来てくれるのが一番良いんだけどな、、、




へへへ、、、

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