2010年7月19日月曜日

した側、された側

うちのパパ。実の父って事ね。




小林製薬で長年勤め、定年退職してから市の職員をした後、1年程前から今はタクシーの運転手をしている。



 先日実家に行くと母親が言った。




「お父さん会社から表彰されたんだよ。」





と言うので訳を聞くと、、、





「タクシー会社って、クレームの電話しか掛かってこないらしいんだけど、お父さんはねぇ“とても親切にしてくれた足立さんっていう運転手さんが居たから電話しました”って言うんだって。」





「電話があったくらいで表彰されるのか?」






と、聞くと






「5人から電話があったから、こんな事は初めてだって事で表彰される事になったんだって。
この前も、杖をついたお爺ちゃんを乗せたらしいんだけど、荷物が重くてお爺ちゃんがフラフラしてたから、そのお爺ちゃんをおぶって、荷物と杖を持って4階のお爺ちゃんのうちまでおくったらしいんだけど、さすがにあれはエラかったって言ってたよ。そのお爺ちゃんの家族の人も会社に電話してくれたらしいの。」





という話だった。





うちの父親の自慢話ではない。





うちの父親らしい普通の事だとしか思わない。って言うかもっと言えば“当たり前”の事をしているとしか思えない。




ただ、俺がこの話を聞いて思った事は、良い事をした側からは、こういう話は伝わらない、という事。




もしも、した側が自分がした良い事を人に話したら、それは良い事では無くなり、ただの自己満足の自慢話に化けるという性質を持っている。




された側が、人に伝える事でその時の出来事が初めて、その段階から“良い事”になるのではないだろうか?





自分で伝えると、自慢話になってしまう良い話は、なかなか伝わらない。





そもそも、した側というのは自分が良い事をしたという感覚ではないからだ。





当然の事を当たり前にしただけ、と思うだけだ。





でも、された側がその事を伝える事で、その話を聞いた人も良い気分になって、見習おうと感じるかもしれない。




『自分もそうしよう』




と、思う人だってたくさん居るはずだ。




人は、なかなか他人を伝えようともしなければ、繋げようともしない人が目立つように思う。




伝えなきゃ、自分も誰からも伝えられない。




自分ばかりが目立とうとしてみたり、良い人だと思われたいと思ってやっている人は、結局何も伝わらない寂しい人になってしまうだろう。




俺も父親の血筋なのか、人と人を繋げていくのが大好きなので、似て良かったと思う。




そして、今俺の周りに二人も、この




『人のために』と『人と人を繋ぐ』




という事を損得勘定ゼロで、俺なんかよりも数倍できている人が居る。




西やんと、山本君の二人だ。




本当に二人とも一緒にいると気持ち良いのだ。



西やんが、山本君に会わせてくれたし、山本君がCANDyの大規模な楽天サイトをプレゼントしてくれた。それだけではない、二人とも他にもたくさん感謝しきれない事ばかりを見返りも期待せずにしてくれる、、、愛に溢れていてる二人なのだ。




昔から、そういう人が俺の周りには多く現れる。





ここ約10年間、俺は美容院に行った事がなく、美容師が無料で髪の毛を切ってくれる。10年一度もお金を払った事がない、、、。




でも、それは俺が父譲りの遺伝子を持っている事に他ならないと思う。




俺は、自分だけがしてもらう事が出来ない。




これが、良い循環となって巡っているだけだと思う。













、、、女子へ。




おっぱいも揉んだりするだけじゃないよ。




他にもい〜っぱい、良い仕事するよ。




い〜っぱいい〜っぱいするからさぁ、、、ね?いいでしょ?




「こんなの初めて」ってよく言われるよ。




俺を無料で試したい女子へ、、、



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