中学を中退して、学力が小学5年生の2学期頃でストップしている俺がとやかく言うつもりは一切ない。
ふと思った事を書きたいだけである。
小、中、高校、大学生などの学生たちが学んだ学問や勉強は、
最終的に通知表や単位という数字に反映され、結果的に数値化されて消化されていく。
大人になってからの学びは、いったいどこに消化されて行くのだろうか。
と、ふと考えてみた。
結局、この案件は2週間ほど頭の片隅にあっただろうか、、、。
で、それを思い出しついでにココに書こうと思っただけの話。
学生たちは学び勉強した事を、『教えた側』に評価され、数値化される、、、。
大人が会社以外で学んだ事は、数値化されない、、、
でも、数値化されなくても学んだ事を誰かに『教えたり、伝えたり』する事で消化されていくのだと思う。
我が子であったり、部下であったり、近所の子供達であったり、、、。
そこで、自ら学んだ事が初めて活かされていき、価値のあるものへと形を変えていく、、、かもしれない。
学生たちの学びとは違い、大人の学びは答えがもらない。
だからこそ、大人になる前にしっかりと自分の中での判断基準や、アイデンティティー、自己哲学を身につけておく事が重要になってくるだろう。
自分の学びに自己採点をしながら、満足する事無く
『これでいいのか?』
を繰り返していく。
そうすることで、
『その時抱いた疑問』
が、いつの日にか明確な
『答えに至るまでのプロセス』
に
“あ、これはあの時曖昧にしか分からなかった事の“答え”に繋がる出来事だ。”
と気付かせてくれる事がよくある。
そして、答えが出た時の “あの喜び” は、
『昔テストをしたのに、その時の答案用紙が永い時を経て、ようやく自分に返って来たかのような』
ちょっとした感動がそこにはあるのだ。
それは、年々増えて行く。
それはそうだろう、、、
大人になってからの学びや、気付きには先生と呼ばれる人たちからの答えや、採点がもらえないのだから、自分ですべてを消化していかなければいけないのだから、
『これで、あってるかな?』
という曖昧なまま、疑問符が付いたままの“付箋”が、頭の中で無数にヒラヒラとなびいているようなもの。
日々、疑問に思えば思った数だけ、この付箋は増え続けて行く。
“疑い”ではなく“疑問”を持つ事こそ、成長に繋がる道に違いない、、、。
だから、色々な日々の出来事から気付きがあれば、その付箋達の中から当てはまるものが浮かび上がって、
『あぁ、これはあの時に抱いた疑問の答えだ。』
と、ようやく先生から答えをもらえたような感覚に、小さな喜びを感じるのだ。
こうやって、少しずつ薄皮を剥ぐように成長していければそれでいいと思っている。
“日々勉強”
これがすべてだ。
さぁ、一番学びたいもの、、、それは、、、
Eカップのお椀型のおっぱい。
これを是非、学びたい。
そう思っているのですよ。
誰か、この教材にお心当たりのある方はご連絡をお待ちしております、、、↓
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