2010年7月31日土曜日

大人の学び

日本人の学力低下が問題視されている、というニュースをたまに目にする。




中学を中退して、学力が小学5年生の2学期頃でストップしている俺がとやかく言うつもりは一切ない。




ふと思った事を書きたいだけである。





小、中、高校、大学生などの学生たちが学んだ学問や勉強は、




最終的に通知表や単位という数字に反映され、結果的に数値化されて消化されていく。





大人になってからの学びは、いったいどこに消化されて行くのだろうか。





と、ふと考えてみた。





結局、この案件は2週間ほど頭の片隅にあっただろうか、、、。





で、それを思い出しついでにココに書こうと思っただけの話。





学生たちは学び勉強した事を、『教えた側』に評価され、数値化される、、、。





大人が会社以外で学んだ事は、数値化されない、、、





でも、数値化されなくても学んだ事を誰かに『教えたり、伝えたり』する事で消化されていくのだと思う。




我が子であったり、部下であったり、近所の子供達であったり、、、。





そこで、自ら学んだ事が初めて活かされていき、価値のあるものへと形を変えていく、、、かもしれない。





学生たちの学びとは違い、大人の学びは答えがもらない。





だからこそ、大人になる前にしっかりと自分の中での判断基準や、アイデンティティー、自己哲学を身につけておく事が重要になってくるだろう。





自分の学びに自己採点をしながら、満足する事無く





『これでいいのか?』





を繰り返していく。





そうすることで、




『その時抱いた疑問』




が、いつの日にか明確な




『答えに至るまでのプロセス』








“あ、これはあの時曖昧にしか分からなかった事の“答え”に繋がる出来事だ。”





と気付かせてくれる事がよくある。




そして、答えが出た時の “あの喜び” は、





『昔テストをしたのに、その時の答案用紙が永い時を経て、ようやく自分に返って来たかのような』




ちょっとした感動がそこにはあるのだ。




それは、年々増えて行く。




それはそうだろう、、、




大人になってからの学びや、気付きには先生と呼ばれる人たちからの答えや、採点がもらえないのだから、自分ですべてを消化していかなければいけないのだから、




『これで、あってるかな?』





という曖昧なまま、疑問符が付いたままの“付箋”が、頭の中で無数にヒラヒラとなびいているようなもの。





日々、疑問に思えば思った数だけ、この付箋は増え続けて行く。





“疑い”ではなく“疑問”を持つ事こそ、成長に繋がる道に違いない、、、。




だから、色々な日々の出来事から気付きがあれば、その付箋達の中から当てはまるものが浮かび上がって、




『あぁ、これはあの時に抱いた疑問の答えだ。』




と、ようやく先生から答えをもらえたような感覚に、小さな喜びを感じるのだ。




こうやって、少しずつ薄皮を剥ぐように成長していければそれでいいと思っている。




“日々勉強”




これがすべてだ。




さぁ、一番学びたいもの、、、それは、、、



























Eカップのお椀型のおっぱい。






これを是非、学びたい。




そう思っているのですよ。



誰か、この教材にお心当たりのある方はご連絡をお待ちしております、、、↓

ある一定の情報量を超えた時、、、







最近、もの作り一色。



過去キャンディがテレビに出た時に入った200個の注文の時以来、いやそれ以上のハイペースで携帯ケース以外の新しい商品を200個以上作る。



期限は8月2日。



ここ最近はipadケースを8種類作り終えたので、次は財布つくり。



今日も一日ひたすら財布つくりだったが、なかなか良いモノが出来上がっている。



さいふは10種類のノルマが課せられている。



で、このひたすらもの作りをして気づいた事が大きいのだ。



とにかく朝早くから夜遅くまで作り続けていると、今まで気づかなかった事に、気づくようになった。



たくさんあるが、ミシンの微妙な調整方法は、このもの作りをひたすらやらないと気づく事は無かった。



思い込みが解除されたのだが、その気づく瞬間は、ほんの一瞬の出来事からヒントを得た。



他にもとても重宝する貴重な気づきにありつけた。



これまでの蓄積が無ければ気づけない事柄ばかりだが、今まではこの蓄積の量が中途半端だったので、その中途半端な蓄積だけだと、そこまでの蓄積で判断し結果的に間違った思い込みや固定観念が勝手に身についてしまうのだ。




それは仕方ない事で、ある一定の情報量が蓄積されないと、次の段階の気づきには絶対にありつけない。




例えるならば、赤ちゃんが言葉を覚えていく過程に似ている。




まずは言葉を知らないので親の言葉をひたすら聞いて、言葉をインプットし続けて行く。




そして、途中段階で片言の言葉を話し始める。





パパやママ、ブーブ、マンマ、、、など。





でも、その時には、赤ちゃんには必要な過程のはずだ。





いきなり正確に話ができるはずがない。そういう段階が必要だ。




その時、赤ちゃんはそれが間違っているとは思わないどころか、それが全てだと思い込んでいる。




あぁ、間違ってるなとか、難しいから話すのやめよう、とは考えていないはずだ。知っているすべてをそこで出し切っているのだから。




そして、段々言葉の情報が増えていくと、正確さが修正されながら少しずつ改善されていく。




話せる言葉の数も必然的に増えていく、、、。




これと同じ感じだ。




人間は、ある一定の情報量を超えた時、飛躍が起きる。




その飛躍がモノ作りを通して起こった、という訳だ。




って、事は、、、
















おっぱいパブに通い詰めて、おっぱいをひたすら触っていた場合、どんな飛躍が待ち受けているのだろう、、、。




実践してみたいので、誰か連れてって下さい。

勇気がなかなか出ないので。



iPadから送信

2010年7月29日木曜日

10年後からの贈り物だとしたら?

『5年前に戻りたい』



『10年前に戻りたい』



そうすればもっと一生懸命頑張れるのに、、、と人は必ず思う。



今から10年後にも、必ずそう思うはずだ。



ならば、今がその問題の



“10年後”



から逆戻りしてきた時だと思って、真剣にやってみればいい。



だって、必ず10年後に



『10年前に戻れたらな』



と思うはずなんだから、今がその



『10年後からタイムトラベルした。』



と思えばいいのだ。



それでも頑張れない、、、それもまた人間だ。



だから俺はいつもチャンスだと思ってやるのだ。



90%の人が、毎日を適当にダラダラと生きているのなら俺にとってはチャンスでラッキーだ。



だって、人がやらないなら、俺が真剣にやれば、楽に成果も出やすい。



ライバルが居ないんだから。



一人勝ちできる。



だから、俺はやるのだ。



みんながやらない事でも、バカになってやるのだ。



ジョギングをする、と決めた時の俺の決意はこうだった。



『一生走る。』



いつまでやるのか?という設定が、みんなは甘い。



俺は、とことんやる。一生やる、と覚悟する。



今後、何かの理由で遠のき、やらなくなっても必ず復活する。



だって、一生走ると決めたのだから、いつだってすぐに抵抗無く走り出せる。



今は、10年後からタイムスリップして戻って来た日、と思って毎日を意識的に生きる。










さ、おっぱいパブに行くと決意しなければ、、、でも勇気が無い、、、。


クリックも、今しかできないかもよ。今のうちクリックの感触を味わってみてはいかが?↓

2010年7月28日水曜日

『生きる』という病

人は、ガンになると動揺し、焦り悲しむ。




「あなたはガンです。生存の確率は50%です。」





とか、





「余命、1年くらいだと思います。」





など。





もちろん、早期発見や最近では昔に比べて完治する確率も上がって来ているが、それでもガンという告知はできれば聞きたくないセリフであろう。




ガンは、怖い病という認識をしている、、、




なのに、なぜ“生きる”という病の事を誰も怖がらないのだろう?




生きる、という病、とは?




人間は、産まれた瞬間に『100%死ぬ』と宣告されたも同然だ。




今まで、誰一人として死ななかった人は居ないのだ。




だから、『生きる』という病だと書いたのだ。




100%死ぬ、病、、、。




ガンは、100%死ぬ病ではない。




でも、人は怖がる。




そして、余命を大切にして生きる。




おかしくないか?




生きるという、100%死ぬ病を煩っているのに、それは何も思わず、毎日をダラリダラリと、どうでもいい事ばかりやって無駄に生活している。




その生き方は、とても100%死にますよ、と言われている人の生き方ではない。




強いのかバカなのか。




それでいて、『あなたはガンです』と言われると、動揺し絶望して愕然とする。




『ガンの前に、あなたは100%死ぬ病にかかっているんですけど、、、』





と、神は言うだろう。




もっと、真剣に生きろ。




もっと、有意義に生きろ。




もっと、毎日のありがたさを身にしみて生きろ。




何もせずゴロゴロして、ブクブクに太っている人はいませんか?




あなたは、100%死ぬ病にかかっているんですよ。




さぁ、人生はあっという間だ。




死ぬと分かっているからこそ、やり遂げたい事があるはずだ。




俺にはある。





























おっぱいパブという夢の国があるというので、そこに是非行ってみたい!!








男に二言はない。
行きたい、、、。




このやろー、まじめに読んで損したわ!とほんの少しでも思った方、または、コレと言って何も思わなかった方、もしくわ、『お、今日の最後のオチはなんだろう?』と少し最後のオチに期待している方、このどれかに当てはまる人はクリックをして下さい。↓

2010年7月25日日曜日

キラキラの新作


最近は、こういうの作ってる。


革を5種類使ってみた。


スワロフスキーをたくさん付けた。カシメて取り付けるので、取れることがない。



そんな中、青山テルマちゃんの元専属スタイリストを、デビューからずっと手がけ、テルマーファッションを世に広めた、明日香ちゃんがヨーロッパから帰国後すぐに店にお土産を持って来てくれた。




そして、キャンディーのレディースシリーズのデザインをしてくれる事になった。




これで、洗練されたバリエーションが増える。




明日は、明日香ちゃんも交えて撮影会をするので、楽天サイトとホームページの写真を一掃して完全に新しく生まれ変わります。

2010年7月24日土曜日

停滞と循環

「知っていますか、、、人間ってやつは、悩み苦しんでる時必ずやってしまっている事があるんですよ。」





と、“悩んでいる男”に向かって、一人の“背の低い男”がそう言った。





「、、、誰だお前!生意気な奴だな。見ず知らずのお前に何が分かるって言うんだ!このチビ。」





“悩んでいる男”がそう言うと、“背の低い男”は再び口を開いた。





「偏見、、、ってやつで僕を見ないで下さい。僕はあなたを救うように、神からのご指導で導かれてココにやって来たんですから。





そして、この任務が無事終われば、神様が僕の願いを叶えて下さると約束してくれたのです。」





“悩んでいる男”は苦笑いしながら、ちょっと驚いた顔で言い返した。





「誰からそんな事を吹き込まれて来たんだ?、、、誰に言われて来たんだ?俺をからかっているつもりなのか?」





“背の低い男”は微動だにせず、寂しそうな哀れむ様な目つきで“悩んでいる男”に言った、、、





「あなたは、トイレでうんちをしますよね?、、、もしも、トイレでなくあなたの家の庭でうんちをした、と仮定して下さい。そのうんち、どうなりますか?」





“悩んでいる男”は、その“背の低い男”を小馬鹿にしたような顔をして、それでも即答でこう答えた。





「は?何言ってんだお前、、、そんなもん臭くてしょうがないだろ。ハエが集って来るに決まってるじゃねぇか。、、、それがどうだって言うんだ。」





すると“背の低い男”は、“悩んでいる男”に動じる事無く諭す様な口調でこう言った。その姿は、まるで威厳のある老人のような風格にすら映った。





「それですよ、、、。あなたが今、ずっと悩み続けている事と同じ仕組みというのが。これと同じ事を、あなたは気づかぬうちに知らず知らずのうちにしてしまっているんですよ、、、。」





“悩んでいる男”は、まさか、自分よりも1メートルくらいチビの自分が見下している、この男の言う





『言葉の意味』





を理解するのに意識を集中しなければいけない事に苛立を覚えつつも、少々恥ずかしくて乱暴に言い放った、、、





「さっきから何なんだ!?、、、あぁ!?お前このやろー、、、どこのチビだ!!」






“背の低い男”は、その言葉をまるで微かな風が体を通り抜ける時と同じように、さらりと受け流しながら





“悩んでいる男”に相変わらず哀れむような目つきと愛情深い瞳で、“悩んでいる男”を優しく包むかのように話し出した。





「怒り、とは甘えと一緒ってご存知ですか?怒りとは、依存心の賜物と言ってもいいでしょう。





あなたは僕があなたよりもチビだから、という理由だけで僕に向かって感情を露にして怒り出しました、、、





普通であれば、それで話が終わりまんまとあなたは自分の思い通り、あなたのペースであなた主導で話は進んでいたでしょう、、、





声の大きい方が勝つ、、、的な、とでも言いましょうか。でも、僕は違う。あなたにもそろそろ気づいているでしょう。僕があなたの敵う相手ではない、という事が。






ま、あなたの敵ではなく味方に他ならないのですが、、、。あなたは、なぜ自分がずっと悩み続けているのか。





あなたは、今あなたがその悩みの現象そのものが、あなたを悩ませている、とお思いでしょうがそれは違います。





あなたは例え、その今あなたが






『悩みだと思っている現象』が解決したとしても、必ずすぐに別の気になる現象を見つけ出して来ては、今度はそれを大きくするためのマイナスの思考を開始します、、、





まるで、その現象に『悩みに成長するための餌』を与えているようなものなんですよ、、、。あなたは、今のままでは、一生





『悩みになり得る気になる現象』を自ら見つけ出しては、それを思考という名の餌を与えては、悩みに育て上げて、ずっといつまでも悩みのある人生をしてしまう事になるでしょう。」






“悩んでいる男”は、もうこの“背の低い男”に何かを反論したり、感情に任せて怒りをぶつけたりする気にはなれなかった。






“悩んでいる男”は、思わずこの“背の低い男”の話に耳を傾けて話を聞き漏らすまい、と真剣に聞き入っていた自分に、ハタと気づいた。





『この“背の低い男”、俺の悩みを解決してくれる答えを持っているのではないだろうか。もしかしたら本当に神様に言われてやって来たのかもしれない、、、』






“悩んでいる男”は、本気でそう考えていると“背の低い男”が口を開いた。






「いいですか。」





そういうと、たっぷりと間を持って次の言葉を慎重に、なおかつ優しさというオブラートに包みながら“背の低い男”はゆっくりと話し始めた。






「人は愚かな生き物です。食物連鎖の頂点に君臨して、勘違いしているのでしょうが、実はまだまだ未完成の生物に過ぎない、、、。





それでも頂点に立った以上、完璧であるという錯覚が人の心を支配し、今まで子孫繁栄を繰り返しながら、『人科』という種を今日まで紡いで来ました、、、





でも、まだまだ多くの問題点を『人科』の我々は抱えている。そのひとつがあなたが今一番解決したいであろう、『悩み』の問題です。






問題は何も悩みに限らず、まだまだ数えきれない程たくさんあります。言い出せばキリがありません、、、





今回、僕は神様にあなたにヒントを出すように、と導かれあなたに会いに来たのです。かつて僕も、今のあなたと同じ過ちを犯していました。」





真剣なまなざしで一語一句聞いていた“悩んでいる男”は、それまでの無礼な態度を改め敬意を示すように、背筋を伸ばし正面を向き目をしっかりと合わせてこう言った、、、






「ヒントって、、、そのヒントは何でしょうか?」






“背の低い男”は、“悩んでいる男”のそれまでの無礼な態度の事をとがめる事も無く、今までと同じ口調で優しく語りかけた、、、






「停滞、、、です。」





「停滞?、、、ですか?」






“悩んでいる男”が“背の低い男”に向かって、そう言った。





「停滞が、すべてを腐敗させるのです。さきほど話したうんちの話も停滞です。」






“背の低い男”がそう言うと、“悩んでいる男”がそれに続いた、、、





「そうか!、、、確かに腐敗していきますね。でも、僕の悩みとどんな関係があるのでしょう?」






“背の低い男”が、言葉を選びながら丁寧に再び話し出した。






「悩みと停滞の関係の前に、停滞がなぜいけないのか、について補足しておきましょうか。停滞というのは、停止、です。





停止とは、死と同義とでも言いましょうか。死は、停止した時に訪れます。呼吸、鼓動、細胞分裂、、、生物は、すべて振動から成り立っているのです、、、





人は活動し、動きのある中で生きています。でも、そこに落とし穴が待ち受けて、我々を苦しめます。それは、思考です。





思考は、建設的に使えば活動に連結されて良いのですが、それとは逆に、停滞をもたらす思考があります、、、





それが、あなたが今現在抱えている『悩みの現象』に他ならないのですが、その悩みは、思考から始まります。






思考自体で始まる場合と、ある出来事、つまり現象があってその現象が発端となって思考が始まる場合があります。





現象から始まる場合、すべての現象というのは、ひとつの出来事に過ぎません。それ自体には何の意味も持ちません。






でも、そこに『個人的な意味』を持たせてしまうのが人間。それがプラスに転じる意味合いであれば良いのですが、マイナスに転じる意味合いを与えてしまいがちなのが、人間なのです、、、未完成で愚かな人間です。







なぜ、そんな法則があるのか、と言うと、人は種族を守るため、危険を察知しいち早くその危険から遠ざからなければ絶滅してしまっていたでしょう。






でもそれは、太古の昔、人には多くの天敵が居た時の話です。






その時のなごりを天敵の居ない今もなお、その矛先を天敵から、






『自分に関わる身体の不調や不具合、人間関係』






にまでおよび、その行き場の無い『子孫繁栄のための叡智である素晴らしいシステム』を、持て余し間違った使い方をしているに過ぎないのです、、、。






このような背景が我々の潜在意識に刻み込まれているのです。






でも、今現在、人の天敵は居ません。ま、厳密に言えば人の天敵は、人だったり自分自身だったりしますが、それはこの際脇に置いておきましょう。





天敵の居ないこの今の時代、果たして、命に関わる危険がどれほどあるというのでしょう?、、、





目まぐるしい時代の移り変わりと、流れの早さに人の身体や仕組みがついていけれていないのです。





江戸時代で例えると、江戸時代の人が一生で得る情報量が、今の時代では2日で入って来るスピードだという程なのです。早過ぎるのですスピードが、、、





大切な事、は。流す、という事に他なりません。循環です。人の体にもその証拠を見てとる事ができますよ、、、それは血液です。






血液が停まれば停滞し、ものの数分でその部位は壊疽を起こし、腐り始めます。すべての原理原則は同じです。流れるものの中に、進化は生まれます。」






“悩んでいる男”は、人生で初めて真剣に人の話を聞いているかのような顔つきで、つぶやくように言った。





「そうか、、、僕の今悩んでいる事は、停滞と一緒だ、、、。同じ事ばかりを考えている、という事はまさに停滞しているということか、、、。と、いう事は停滞ではなく、、、循環?循環が大切なのか、、、?」






「そうなんです。あなたの今言った事がこの悩み、という問題のすべてです。すべての出来事、、、現象というのは必ず両極生を持ち合わせています。陰と陽です。





光と陰と同じで、単体では成り得ません。生と死もこの仕組みで成り立っています。ですから、何かの出来事に遭遇したら、そこに自分を囚われてはいけないのです。






無意識で居れば多くの人はマイナス点に目を向けてしまいます。そうではなく逆の、プラス面を意識的に見るようにします。






自分の都合の良いように感じればいいのです。停滞したら、動きが悪くなり疲れます。疲れないようにする事ですら疲れてしまう、という悪循環に陥るのです。






停滞させず、流します。流し方は様々な方法がありますので、それはあなた自身が経験や体験を通して自ら気づいて下さい。流れが重要なのです。






一点をずっと閉じ込めてはいけません。循環させる方法を探すのです。よく自ら気づいてくれました、、、。これで僕も神様に願いを叶えてもらえます。」







“悩んでいる男”は、ゆっくりと大きく頷き、“背の低い男”の方を改めて見て、こう質問した。






「あなたの年齢は、何歳ですか?」






“背の低い男”は少し考えてからこう返した。






「年齢という概念に囚われている時点で、それは停滞の領域ですよ。年齢というのは、整理や区別する為に、愚かな人間の作り上げた認識の為のものに過ぎません。






人と言うのは木の年輪のような仕組みではなく、レコードの溝と同じ仕組みのはずなのですよ本来は。





溝は1本ですが、螺旋して重なっているように見えて、あたかも数百本、数千本に見えているだけに過ぎないのです。






すべては1本の道なのですよ。レコードの溝の数は何本あるか?と訪ねられても答えは1本なのです。螺旋していく道筋なのです。






年輪には区切りがあります。人は生きている間中、区切りはなく1本の長い道のりがあるだけなのです。そういった概念を認識して頂いた上で、私の人としての年齢は、、、6歳です。」







「え!!、、、6歳!?」







“悩んでいる男”は、これには驚いた。






「もしも、何度生まれ変わっても、僕には“前世の記憶”がすべて残っていたとしたら、、、それでも僕が6歳だという事に対して疑問感を抱くとお思いですか?






年齢という概念は先ほども言ったように必要な事ではないのです。僕には、ある使命があって何度生まれ変わっても、前世の記憶がくっきりと鮮明に記憶にあるのです。





ですから、あなたの悩みについて、もよく知っているのです。もう、かれこれ800年程前にその問題は、完全に解消しています。」






「それでは、あなたの願い、とは一体なんなのですか?」

































「、、、おっぱいパブに行く事」






「な、なに!?幼稚園児が何言ってるんだ!!このやろー!!」


完。




いい加減にしろ!!!!!時間を返せ!!!と思われた方、スイッチポン!、、、あ、間違えた。スイッチオン!!、、、あ、スイッチじゃなくってクリックだった。↓


今回は、幼稚園児と大人の会話で、おっぱいパブというキーワードを使って、どこまで物語りとして成り立たす事ができるのか、というテーマで書いてみました。1時間半もかかっちゃった、、、仕事忙しいのに!!さ、仕事の続きやろ。

2010年7月23日金曜日

不思議体験

数日前、貴重な体験をした。




これを上手に書けるかどうか迷っていたので、なかなか書けずに今日まで日が経ってしまった。




最近、ずっと朝早くから夜遅くまでひたすらモノ作りの毎日。




モノ作りに没頭している時は、時間の概念が消えてあっという間に5〜6時間が過ぎるなんて当たり前の生活サイクル。




そして、その日の夜中の3時頃だろうか、、、




究極に眠い状態のまま起きていたので就寝の時には、強烈な眠気のままベッドに入った。





が、強烈な眠気なのに眠れないのだ、、、




眠るタイミングを完全に逃してしまった、と思ったその時だった。





目を瞑っているので、『目の前』と表現すると、ちょっとおかしいけど、目を瞑っている状態の時の、『目の前』に、、、




水の上に出来る波紋のようなものが、数十個現れては消え、現れては消えていく、、、




この時、もちろん目を瞑っているので、まぶたの裏側にあたるのかな?目の前と言っても頭の中で見える状態。、、、(伝わるかな?これを伝えるのが難しいな、と思ってた事のひとつだ。)




そして、不思議と言うのはココからだ。




何が不思議かって、その現れては消える、という波紋の中をよく見ると、、、




その日あった出来事の破片が、見えているのだ。




無数に、そこら中に。




数十個ある波紋の中に、それぞれひとつずつの『その日あった出来事』の断片が映像で映っている。



そして、ひとつひとつが動いている。




もちろん意識はバッチリあるので夢でも無いし空想でも妄想でもない。





俺は、一瞬




“怖い”





と、思いかけたが、すぐさま『これをじっくり見てやれ!これが今、俺に起こっている現実だ、』





と、言い聞かせ、じっくりと見ていたのだ。




すると恐怖感は一瞬にしてゼロになり平常心のまま観察ができた。




波紋は、大きさで言うと感覚だがひとつが、10センチくらいになると消えて、また新たに別のあちこちの場所で、次々に波紋が現れる、、、



現れる時は、1センチくらいだが、すぐにフワ〜っと大きくなり、消えていく。




時間にすると、見えていた時間の合計が1分半くらいだったかな。





見ながら、ある事がすぐ思い当たった。





『あ、一日の記憶の整理はこうやってホルダーに分けられていくんだ!』




と、感じたと同時に、脳の凄さと言うか不思議さ、偉大さ、を身体で感じさせられた。




っていうか、これ誰かが遠隔操作してるでしょ?って感じだった。




自分の意志とはまったく関係ないところで、毎晩これが行われているんだ、と思うと人間って凄いと思ったし、数日前にも書いたが『神様』は絶対に居るんだな、と改めて感じる瞬間だった。



波紋は、広角にそこら中にランダムで現れては消えていくのだが、そのどこに焦点を合わせても、しっかりとその日にあった出来事の断片がそれぞれ上映されているのだ。




もっと、詳細に書くならば、波紋という表現よりも、大雨がガラス窓に打ち付けたときの、雨の雫に近い。




雨の雫が、最初空から降って来て、個体で窓ガラスにあたり、ベチャッと潰れて窓ガラスに馴染んで消えていくような状態の方が近いかな。




その窓ガラスにあたった瞬間に、その映像がそれぞれ、あちこちに映っている、という感じだった。




究極に眠い状態だったので、脳が錯覚を起こして




“よし、もう寝たぞ、さぁ今日一日の記憶を整理するぞ、”




と、俺がもう寝てるものだと勘違いして始めてしまったのだろう。




それにしても、不思議な脳の仕組みを見れて、とてもラッキーだ。




俺の記憶に入り込みたい女子へ。
宛先はこちら↓

2010年7月22日木曜日

新展開


角度が変えられるipadケース作りました。


ね?


ね?


ね?


折り畳むとこうなります。これは、アババイの山本君に昨日発送。





で、第二弾がこれ。


黒いバージョンで、ややシンプルで買いやすいタイプ。


なかなか渋くてカッコいい出来に素敵な俺もほくそ笑む。


こんな感じだ。


たたむとこんなスタイルにあの子もうっとり。


で、今日はコレを作っていた。ザ、キーホルダー。


これ、先日のお客さんの。かなりいい感じに仕上がっております。赤ちゃんの名前&裏には生年月日を焼きゴテで入れた。


試しに田中のも作った。


これは、縦に並ぶバージョンだ。僕ちゃん用に。



山本君と考えて、これを今後、大々的にシステマチックに展開していきます。


今日はコレでおしまい。


2010年7月21日水曜日

天国と地獄

天国と地獄の違いとは?




実は無い。




天国も地獄も無く、すべてはそこに居る人たちの心が決めるという世界がそこにあるだけ。




その世界に行くと神様に、長い箸を渡される、、、




長い箸が渡されるだけ。




『ここは天国だ』と、感じる人たちの共通点。




それは、食事の時間に、その長い箸を使って




“自分ではなく自分以外の人の口に食事を食べさせてあげる”




一方、『ここは地獄だ』と感じる人達の共通点は、食事の時間に、自分が真っ先に食べようと、長い箸で




“自分だけが食べよう”




とする人たち。




相手の事なんかまったく考えず、我先にと長い箸を使って、自分で食べようとするが箸が長いので、口に食事を入れる事ができない、、、。




そして、食事の時間が終了してしまうので、地獄と感じる人たちは食事にありつけないまま、空腹で苦しむ事になるので、地獄だと感じてしまうのだ。




この違いがあるだけ。




居る世界は、まったく一緒で条件も同じなのだ。




そこに居る人の心持ちに違いがあるだけなのだ。




今、この世にもこれが当てはまる。




“我先に”と自分だけが良ければいい、という人は気をつけて。











女子に告ぐ、、、




まず、おっぱいを揉んであげましょうか?僕は後回しでいいので、、、




自分は二の次、の話でした。




おっぱいを僕に差し出してくれる女子は、こちらから受け付けています↓

2010年7月20日火曜日

謎めいた私生活

人からよく、




「足立さんって普段何してるんですか?謎ですよね?」




と言われるので、今日はその謎の部分にメスを入れようと思うのだ、、、。





今日、火曜日は店が定休日。




でも、定休日だからと言って休んだ事は滅多に無い。




今日は朝から日課である、ジム通いから始まった。




朝6時起床。




雑巾がけして、朝8時20分に家を出て近所の大樹というゴルフ練習所にあるトレーニングジムに出かける。




ほぼ毎日通っているので、ロッカーも57番と決まっている。




最近は、ipadで本を読む。




朝8時半から始まるジムで、まず1時間走る。




その後10時までストレッチをしてシャワーを浴びて店に行く。




で、最近はモノ作り一色の毎日だ。


これは、ipadケースのベルトに使う部分で、ボリュームをもたせて作っていく。


こういう革の紐のオーダーも入る。これは服屋さんからの注文だ。


で、田中と昼食のため近くの大地のテーブルという自然食ビュッフェに歩いて行く。




食べ過ぎて多分、2キロ程体重増加。



で、新たにまたipadケースを作る。





今日は定休日なので早めに帰宅。夜9時。





で、家に帰ってブログ書いて映画観て終わり。





、、、ね?謎めいてるでしょ?





、、、まったく謎ではありません。





って言うか、普通の人以下の私生活だと思います。




ここに、おっぱいパブ通い、が加わればちょっとは謎めいた不明瞭な説明できない行動領域ができていいかもしれない。




なので、まずはおっぱいパブに行く前の準備段階として、おっぱいに慣れる練習をしようと思います。




DカップかEカップギャル限定で募集します。




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