2010年6月21日月曜日

今、何合目?




土曜日の夜は、うちに集まりみんなで一緒に何かを考える会をしている。





足立塾の前身の母体的な会である。






色々なテーマを題目に据えての会が始まる。







このところずっと、“いつわり”について、みんなで話て気づきあった。







色々な話題や題目があったが、人はみんな悩んでいるという事はよく分かった。







悩みは人それぞれに見えるが、実は同じ悩みを経験しながら人間味を高めている、といった所ではないだろうか?






分かりやすく言えば、富士山に全員が登るのだが、人それぞれ登る道筋が違い、登り方が違う、という感じ。







みんな富士山の頂上を目指すのだが、北側から一気に真っすぐに走って登る人も居れば、南側からゆっくりと、ジグザグに疲れないように登る人もいる。







中には、ヘリコプターで一気に頂上に行く人も居るかもしれない。







その頂上に辿る道中で起こる事を、どう処理していくか、が人生である。







何を感じ、何を思い、何を変えるべきか、何を変えないべきか、などを決断しながら自分という個を確立していく事。







言ってみれば、標高1500メートル地点では、酸素が薄くなり気が遠のく経験をした時に、どう対処してそれを乗り越え、克服し自分のものにしていくか。







酸素が薄くなる、という経験は北側から登った人も経験する事だし、東側からオートバイで登った人も経験するはずだ。







ヘリコプターに乗って頂上を目指した人も経験する事だが、一気に上を目指す人はその症状も一気に出て強いだろう。






一気に行くのか、それとも一旦標高を下げて体調を整えてから再び登るのか、、、








やり方は、様々で自分でそれを見いだすのが人生。








それを乗り越えてみんな頂上に辿り着くのだ。








乗り越えられないでいると、決まって同じところで同じような事でつまずき、ひざまずく。







『あぁ、なんでいつもここで悩むんだろう、、、』







それは、逃げて来た事だ。







逃げて、それが解消されたとばかり思っていても、それを克服しなければ上には登れない、、、前にはすすめない、、、








同じ標高を上ではなく、横移動していて上に登ろうと思った時に、よくこういう事が起こるのではないだろうか?







付き合った彼や彼女と、気に入らない事があるとすぐに別れてしまう。







次の人は、違う考え方でもっと優しい人と付き合いたい、そう思っても、、、








結局は、同じ様な人である事はとても多いのではないだろうか?







それは、相手に何かを求めるのではなく、自分が変わるべき所を気づかせてくれているだけである。







それに気づかず、相手にばかり自分の要求を求める人は、同じ異性のタイプとしか付き合えない。






それは、神様が








『この人から、お前の直すべき点を感じ取れ』









と言われているのではないだろうか?








このように、みな同じような事を経験する。








行き着く先、目指す場所が実はみんな一緒なのだ。








だから、同じ様な事で悩み、同じような事で苦しみ、同じ様な事で悲しむのではないだろうか?







みんな自分を高めたい、と思っているから悩み、苦しみ、生きているのだ。







富士山に例えたけど、人が目指している場所は心の中にある。しかもそれが実はみんな同じ共通の場所を目指しているのだと思う。







富士山のように形こそないが、みな同じ共通の心の中の富士山を持っているのではないか。








形があれば、







『みんな同じだ。苦しいんだ。自分だけじゃない。』








と、見て分かるので気分的に楽だろうが、人間はそうはいかない。








自分探しをしながら、心の中の富士山に登っているようなものだ。








自分がある人、無い人。







これについても今日、書こうと思ってのブログだったが、本題に入る前に長くなったので、この続きは明日書きます。








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